ベン・ウェブスター(1943年)
バック・クレイトンなどと(1947年10月)
ベン・ウェブスター (Ben Webster 、1909年 3月27日 -1973年 9月20日 )(「ザ・ブルート」、もしくは「フロッグ」という呼び名でも知られている)は、アメリカ合衆国 のジャズ ・テナー・サックス 奏者。
ウェブスターは、ミズーリ州 カンザス・シティ に生まれ、コールマン・ホーキンス 、レスター・ヤング とともにスウィング期の3大テナーの一人と考えられている。
愛情を込めて「ザ・ブルート」と呼ばれ、[1] 堅く、とがっていて、すごくいかした音色でストンプのリズムを刻む(彼自身の明らかに他人とは異なったうなるような演奏によって)。しかし、バラード曲では、温かみと情趣あふれる演奏をもこなすのである。スタイルの点から見れば、ウェブスターのそれは、ジョニー・ホッジス に負うところが大きい。ウェブスターによれば、ホッジスこそが彼に、サックスをどのように演奏したらよいか教えてくれた人物だということである。
若年期と経歴
ウェブスターはピアノ とヴァイオリン を幼少の頃から習っていた。サキソフォン の演奏について学ぶのはその後のことになるのだが、それでも彼は時々、ピアノに立ち帰っていた。時にはピアノで録音に参加することもあったのである。ある時、バド・ジョンソン がウェブスターにサキソフォンの基本的な演奏法について教えたことがあったのだが、それ以来、サキソフォンをヤング・ファミリー・バンド(当時、メンバーの一人にレスター・ヤングがいた)で演奏するようになった。
カンザス・シティは、この当時、様々なミュージシャンが集まる「るつぼ」と化しており、1930年代にはジャズの大物達が何人かここから生まれている。
その後、ウェブスターは1932年にベニー・モーテン の伝説的なバンドに加わる。このバンドには、カウント・ベイシー 、オラン=ホットリップス=ペイジ 、ウォルター・ペイジ らがいた。この頃の様子はロバート・アルトマン の映画「カンザス・シティ」の中で描かれている。
ウェブスターは、1930年代に、それなりに多くのバンドを転々とした。具体的には、アンディ・カーク ・バンド、フレッチャー・ヘンダーソン・オーケストラ には1934年に加入、その後、ベニー・カーター ・バンド、キャブ・キャロウェイ ・バンド、そして長くは続かなかったテディ・ウィルソン・ビッグ・バンド などで演奏している。
デューク・エリントンと
1935年 にデューク・エリントン のオーケストラ と初めて共演して以来、1940年 までに、ベン・ウェブスターはエリントン・オーケストラの最初のテナーのソリストとなっていた。ウェブスターは、このオーケストラのアルト・サックスのソリストであるジョニー・ホッジス を、自分に大きな影響を与えた人物として挙げている。
その後3年の間、ウェブスターは数々の有名な録音に参加する。その中には、「コットン・テール 」や「オール・トゥー・スーン 」などがある。オーケストラのベース を務めていたジミー・ブラントン とともに、ウェブスターはエリントン・オーケストラとって欠くことのできない存在となり、結果として、この期間のバンドは、「ブラントン=ウェブスター・バンド」として知られることとなった。
ウェブスターは、証拠はないものの、口論となってエリントンのスーツを切り裂いたと言われている。この出来事の後、1943年 に彼はバンドを去ったのだが、2003年 にニュアーク・スター・レジャーとのインタヴューで、トランペッターのクラーク・テリー は、「ウェブスターがエリントンのバンドを辞めたのは、彼がデュークをひっぱたいたからで、その後すぐ、二週間の猶予つきの解雇通知をもらったんだ」と述べている。
エリントン後
1943年 にエリントンのもとを去ってから、ウェブスターはニューヨーク市 の52丁目で働いた。リーダーとして、また共演者として、何枚も録音を残している。レイモンド・スコット 、ジョン・カービー 、シド・キャレット 、そしてジェイ・マクシャン ・バンドなどである。ジェイ・マクシャン・バンドでは、歌手のジミー・ウィザースプーン も呼び物となっていた。1948年 には、ウェブスターは、数ヶ月の間だけだが、エリントン・オーケストラに復帰したこともあった。
1953年 には、「キング・オヴ・ザ・テナーズ」をピアニストのオスカー・ピーターソン と一緒に録音している。ピーターソンは、この後1950年代を通じてウェブスターにとって重要な共演者となった。そして、ピーターソンだけでなく、トランペッターのハリー・スウィーツ・エディソン 達とも合流して、ノーマン・グランツ がプロデュースする「ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック (JATP)」に参加し、ツアーや録音に携わるようになる。「コールマン・ホーキンス・エンカウンターズ・ベン・ウェブスター」は、仲間であるコールマン・ホーキンス と一緒に、1957年 12月16日 に録音されたものだが、オスカー・ピーターソン、ハーブ・エリス (ギター)、レイ・ブラウン (ベース)、アルヴィン・ストーラー (ドラムズ)らも参加している。ホーキンスとウェブスターの録音は、いわゆるジャズのクラシックであり、カンザス・シティで最初に出会った二人のテナー・サックスの巨人の、「共演」だったのである。
1956年 には、ピアニストのアート・テイタム と組んで、ベースのレッド・カレンダー 、ドラマーのビル・ダグラス のサポートで、正統派スタイルの録音を残している。
最後の十年、ヨーロッパで
ウェブスターはおおむね、むらなく、定期的に働いていた。しかし1964年 にヨーロッパ で活動しているアメリカ人のジャズ・ミュージシャンに加わるべく、移住した。ヨーロッパでは、気が向いた時に演奏するというスタイルで、人生最後の10年間を過ごしたのである。一年間ロンドン に住み、次の四年間はアムステルダム に住んだ。そして最後にコペンハーゲン に移り住んだのは1969年 のことだった。1970年 のデンマーク のブルー・フィルム 「クリッシーでの静かな日々(Quiet Days in Clichy)」では、ウェブスターが安いキャバレーでサックスを演奏する様子を目にすることができる。1971年 にはウェブスターはデューク・エリントンと再会し、デンマークのチボリ・ガーデン で行われたショーで何度かエリントン・オーケストラとともに演奏している。また、アール・ハインズ とともにフランス でライヴ録音を残している。その他、バック・クレイトン 、ビル・コールマン 、テディ・ウィルソン らとも共演している。
ディスコグラフィ
リーダー・アルバム
『キング・オブ・テナーズ』 - The Consummate Artistry of Ben Webster (1954年、Norgran)
『ミュージック・ウィズ・フィーリング』 - Music With Feeling (1954年、Norgran) ※ベン・ウェブスター・ウィズ・ストリングス名義
『アート・テイタム〜ベン・ウェブスター・カルテット』 - The Art Tatum - Ben Webster Quartet (1958年、Verve)
『ソウルヴィル』 - Soulville (1958年、Verve)
『コールマン・ホーキンスとベン・ウェブスター』 - Coleman Hawkins Encounters Ben Webster (1959年、Verve)
『ベン・ウェブスター・アンド・アソシエイツ』 - Ben Webster & Associates (1959年、Verve)
『ベン・ウェブスター・ミーツ・オスカー・ピーターソン』 - Ben Webster Meets Oscar Peterson (1959年、Verve)
『ソウル・オブ・ベン・ウェブスター』 - The Soul of Ben Webster (1960年、Verve)
『マリガン・ミーツ・ウェブスター』 - Gerry Mulligan Meets Ben Webster (1960年、Verve)
『ウォーム・ムーズ』 - The Warm Moods (1961年、Reprise)
BBB & Co. (1962年、Prestige)
『ベン・ウェブスター=スイーツ・エディソン』 - Wanted to Do One Together (1962年、Columbia)
『ソウルメイツ』 - Soulmates (1963年、Riverside) ※with ジョー・ザヴィヌル
『シー・ユー・アット・ザ・フェアー』 - See You at the Fair (1964年、Impulse!)
Intimate! (1965年、Fontana)
『恋人と恋泥棒のために』 - Atmosphere For Lovers And Thieves (1966年、Black Lion)
『ビッグ・ベン・タイム』 - Big Ben Time! (1967年、Fontana)
『ベン・ウェブスター・ミーツ・ドン・バイアス』 - Ben Webster Meets Don Byas (1968年、SABA)
Big Sound (1969年、Polydor)
Ben Webster at Ease (1969年、Ember)
For the Guv'nor (1969年、Columbia)
Webster's Dictionary (1970年、Philips)
Ben at His Best (1970年、RCA Victor)
Autumn Leaves (1972年、Futura) ※with Georges Arvanitas
Swingin' in London (1972年、Black Lion)
『マイ・マン』 - My Man: Live at Montmartre 1973 (1973年、Steeplechase)
Previously Unreleased Recordings (1974年、Verve)
『モンマルトルの夜』 - Saturday Night at the Montmartre (1974年、Black Lion) ※with ケニー・ドリュー ・トリオ
Rare Live Performance 1962 (1975年、Musidisc)
Ben and the Boys (1976年、Jazz Archives)
Sunday Morning at the Montmartre (1977年、Black Lion)
Layin' Back with Ben Vol. 1 (1977年、Honeydew)
Layin' Back with Ben Vol. 2 (1977年、Honeydew)
Carol & Ben (1977年、Honeydew)
Did You Call? (1978年、Nessa)
The Horn (1982年、Circle)
『ベン・ウェブスター・アット・ザ・ルネッサンス』 - Ben Webster at the Renaissance (1985年、Contemporary)
『プレイズ・デューク・エリントン』 - Plays Duke Ellington (1988年、Storyville)
『バラッズ』 - Ben Webster Plays Ballads (1988年、Storyville)
『ストーミー・ウェザー』 - Stormy Weather (1988年、Black Lion)
『ミーツ・ビル・コールマン』 - Meets Bill Coleman (1989年、Black Lion)
Live in Paris 1972 (1989年、France's Concert)
Live in Amsterdam (1989年、Affinity)
『ザ・ジープ・イズ・ジャンピング』 - The Jeep Is Jumping (1990年、Black Lion)
『マイ・ロマンス』 - Live In Denmark (1990年、Vantage) ※with ケニー・ドリュー・トリオ
『ベン・アンド・バック』 - Ben / Buck (1995年、Storyville) ※with バック・クレイトン
『テナー・タイタンズ』 - Tenor Titans (1997年、Storyville) ※with デクスター・ゴードン
1953: An Exceptional Encounter (2000年、The Jazz Factory)
参加アルバム
デューク・エリントン
『ザ・ブラントン=ウェブスター・バンド』 - Never No Lament: The Blanton-Webster Band (1986年、RCA) ※1938–1942年録音
ライオネル・ハンプトン
『ユー・ベター・ノウ・イット!!!』 - You Better Know It!!! (1965年、Impulse!)
マンデル・ロウ
『ポーギーとベス』 - Porgy & Bess (1958年、RCA Camden)
オリヴァー・ネルソン
『続ブルースの真実』 - More Blues and the Abstract Truth (1964年、Impulse!)
アート・テイタム
The Tatum Group Masterpieces, Vol. 8 (1956年)
クラーク・テリー
『ハッピー・ホーンズ』 - The Happy Horns of Clark Terry (1964年、Impulse!)
脚注
^ liner notes by Billy James taken from the 1962 recording Ben and "Sweets" CBS 460613
外部リンク