ベレンデン卿(英: Lord Bellenden)は、かつて存在したスコットランド貴族のロード・オブ・パーラメント。政治家ウィリアム・ベレンデン(英語版)が1661年に叙されたが、7代卿ウィリアム・ベレンデン=カーの死によって廃絶した。
その祖ウィリアム・ベレンデン(英語版)(1604/5-1671)はブロートン自由男爵領(free Barony of Broughton)を擁するベレンデン家の出身である[1]。彼は大蔵卿代理や枢密顧問官(英語版)を務めた人物で、1663年には以後同家によって世襲されることとなる大蔵省式部官(Usher of the Exchequer)に任じられている[1][2][3]。ウィリアムは1661年6月10日にスコットランド貴族としてブロートンのベレンデン卿(Lord Bellenden of Broughton)に叙せられた[1][2][3][4]。彼は死の半年前に遠縁のジョン・カー(英語版)(?-1707)[註釈 1]に卿位を継承させるべく爵位を王冠に返還、死後の1673年に勅許によって追認された[1][2]。これ以降はジョンの子孫によって卿位は承継された[1][2][4]。
2代卿の曾孫にあたる5代卿ジョン(1751-1796)は破産していたため、世襲職の式部官職はスコットランド民事控訴院(英語版)の命令に基づいて競売に付された[1][2]。
その叔父の6代卿ロバート(1734-1797)は式部官の世襲権を再認されたが生涯未婚のまま死去したため、卿位は従兄弟のウィリアムに継承された[1][2][4]。
7代卿ウィリアム(1728-1805)は卿位継承後の1804年に親族からロクスバラ公爵を継承したため、卿位は公位に従属することとなった[1][2][4]。しかし、彼が継承の翌年に子のないまま死去して卿位は廃絶した[2][4]。一方で、ロクスバラ公爵位は休止となった[4][5]。