ベニンシティ (Benin City) はナイジェリア南部にあるエド州の州都である。ベニン川の河港である。 2006年の推計人口は 1,147,188 人。
ベニンは12世紀にベニン王国の首都イビヌ (Ibinu) として建設された。オバ・エウアレの元でエドと改名され、皇帝(オバ)達の元で14世紀から17世紀に最盛期を迎え、「大ベニン」と呼ばれたが、その面影は現在に残されていない。1485年にポルトガルが来航し、以降ヨーロッパ勢力との奴隷貿易と象牙、胡椒や布などの熱帯産品の輸出で栄えた[1]。
ベニン湾岸は「奴隷海岸」の一部であり、取引相手となったのは現地の首長等であった。16世紀初頭にオバ・エシギエはリスボンに宣教師を送るようにと大使を派遣している。19世紀まで住民の中にはピジンポルトガル語を話す者もいた。
奴隷貿易の衰退に伴いベニンも賑わいを失ったが、パーム油の輸出で盛り返した。1852年2月1日ベニン湾一帯がイギリスの保護領に組み込まれ、1861年8月6日にはビアフラ湾一帯もイギリスの保護領とされた。
1897年2月17日ベニンでのイギリス人殺害に対する「討伐」 (Punitive Expedition) としてハリー・ローソン提督率いる1200人のイギリス海軍部隊が王国を征服しベニンを焼き払った。王国の財宝や文化財の殆どが破壊された。ベニン・ブロンズとして知られる、鉄や真鍮、象牙の彫刻等による人物や動物等の造形物はこの時に持去られ、現在世界の博物館に展示されるようになった。これによりベニン王国はイギリスのニジェール海岸保護領に組み込まれ、後に南部ナイジェリア保護領となるナイジェリア植民地(英語版)に併合された。
1914年にベニン王室の再建が認められたが、実権は植民地政府が握ったままであった。
1967年9月ビアフラ戦争時にベニンもビアフラ共和国に占領され、一時ベニン共和国となった。
ラゴスの東約320Kmにある。
ベニンはナイジェリアのゴム産業の中心地であり、アブラヤシの加工も伝統的産業である[1]。
ベニン大学(英語版)とベンソン・イダホサ大学(英語版)が市内にある。
観光資源としてベニン市国立博物館、オバ宮殿や祭り等がある。