第3代フェラーズ伯爵ヘンリー・シャーリー(英語: Henry Shirley, 3rd Earl Ferrers、1691年11月14日 – 1745年8月6日)は、グレートブリテン王国の貴族。1729年までヘンリー・シャーリー閣下の儀礼称号を使用した。
初代フェラーズ伯爵ロバート・シャーリー(英語版)とエリザベス・ワシントン(Elizabeth Washington)の九男として、1691年11月14日にストーントン・ハロルド(英語版)で生まれた[1]。
1729年4月14日に兄ワシントンが死去すると、フェラーズ伯爵の爵位を継承した[2]。
精神疾患により弟ローレンスが禁治産宣告を求めて訴えを起こしたが、ヘンリーは病状が回復し、1730年10月に財産の管理権を取り戻した[3]。
1731年から1742年までスタッフォードシャー統監(英語版)を務めたとされることもあるが、完全貴族名鑑では事実かどうかが疑わしいとしている[1]。
1745年8月6日に生涯未婚のままケンジントン・ゴア(英語版)で死去、ストーントン・ハロルド(英語版)で埋葬された[1]。弟ローレンスの息子ローレンスが爵位を継承した[2]。
精神疾患をわずらっていたとされる[1]。