ブルガリア共産党(ブルガリアきょうさんとう、ブルガリア語: Българска комунистическа партия、略:БКП、Balgarska komunisticheska partiya)は、かつてブルガリアに存在した共産主義政党である。1946年から1990年までの社会主義国家ブルガリア人民共和国において、人民民主主義体制の下で国家の指導政党の位置を与えられ、形式的な衛星政党は残したものの事実上の一党独裁制(ヘゲモニー政党制)を敷いていた。
歴史
なお社会党となった後の1991年には、党創設100周年を祝っている。
一方マルクス・レーニン主義の堅持を主張したアレクサンダー・パウノフ率いるグループが1996年に新たにブルガリア共産党を結成、コスタディン・チャカロフが1995年にブルガリア共産主義者連合を結成、ともに政党連合「ブルガリアのための連合」に加わっているが議席は確保できていない。
党大会
- (5) 1948年12月18日ー25日 プロレタリア独裁論が打ち出される。党名を共産党に改称。
- (6) 1954年2月25日-3月9日 ジフコフ書記長就任。
- (7) 1958年6月
- (8) 1962年11月5日-14日 ユーゴスラビアとの関係改善。
- (9) 1966年11月14日-19日
- (10) 1971年4月20日ー25日 新綱領採択。
おもな政治家
歴代党首・書記長
その他の政治家
ブズルジャ記念館
1981年から1991年まで使用された記念館(英語版、ブルガリア語版)がバルカン山脈のブズルジャ峰(英語版、ブルガリア語版)の山頂に廃墟のまま残されている。この建物は、1891年のブルガリア社会民主党設立会議(英語版、ブルガリア語版)がこの山上で行われたことを記念して建てられたものである[1]。記念碑的建造物として保存が期待されているが、修復維持の予算が確保できないという理由で、2012年に国からブルガリア社会党に所有が移された[2]。
脚注
外部リンク