ブランデーワイン派(Brandywine School)は、アメリカ合衆国のイラストレーター、ハワード・パイルが20世紀の初めにペンシルベニア州デラウェア郡のウィルミントン(Wilmington)やチャズフォード(Chadds Ford Township)などで開いた美術教室で学んだイラストレータやその弟子たちであるイラストレーター、および、彼らの作品のスタイルである[1]。ブランデーワイン派のイラストレータたちは、雑誌や小説作品の挿画を多く描いた。名前の「ブランデーワイン」は批評家のヘンリー・ピッツによって[2]、ウィルミントン近くを流れるクリークの名前(Brandywine Creek)から名づけられたものである。美術教室はこの川の「粉ひき水車小屋」を改装して作られた。
パイルの絵画作品のスタイルが弟子たちに継承されて「ブランデーワイン派」が形成された。パイルは1910年までこの学校を運営し、この時期の学生で有名になったのはN・C・ワイエス(N. C. Wyeth)、スクーノヴァー(Frank E. Schoonover)、アーサーズ(Stanley M. Arthurs)といった画家である。パイルはウィルミントンで10年間で75人の学生を指導した。1905年にはウィルミントンの慈善家がパイルの最も成功した弟子の、ワイエス、スクーノーヴァー、ダン(Harvey Dunn)、アシュレー(Clifford Ashley)のための住居とスタジオを建てて、スクーノーヴァーはその建物に63年間住み続けた。
^Pitz, Henry C. (1975). Howard Pyle. Writer, Illustrator, Founder of the Brandywine School.. New York: Clarkson N. Potter. pp. 110, 138. ISBN978-0015751661