メモリアルデーの週末1983年5月28日、フロック・オブ・シーガルズはザ・クラッシュ、メン・アット・ワーク、ストレイ・キャッツらとUSフェスティバルに参加した[16]。同年「リッスン」からはデビューシングル「(It's Not Me) Talking」の再録バージョンを含む3曲のシングルがリリースされたがマイナーヒットに終わった。がっかりした彼らは異星人侵略などのSF的なテーマから方向転換し、より現実味があり人間的な感情に訴える作品としてサードアルバム「ストーリー・オブ・ア・ヤング・ハート(英語版)」を完成させた。しかしシングル「星空の恋(英語版)」のパワープレイも功を奏さず、アルバムのセールスは多くの国で前作より落ち込む結果となった。また続く2枚のシングル「Never Again (The Dancer)」と「Remember David[17]」はチャート入りさえ果たせなかった。セールス低迷に喘ぎながらもツアーを続けるさ中、レイノルズが脱退し元クラシックス・ヌヴォー(英語版)のゲイリー・ステッドマンに交代した[1]。サウンドのテコ入れとしてキーボードのクリス・クリサフィスも加入した[1]。両名とも4thアルバム「ドリーム・カム・トゥルー(英語版)」のレコーディングを待たずして、事前のツアーが終わるとバンドを去ってしまった。アルバムはイギリスでは1985年、アメリカや日本など他国では1986年にリリースされたが、低迷に拍車が掛かりチャート・ランク圏外となってしまう。この結果バンドは実質的な解散状態に陥ってしまった。
1988年 - 現在: 再結成後
サードアルバムリリース後フィラデルフィアに拠点を移していたマイク・スコアは、仲たがいしてボストンに移住した兄や、ホームシックでイギリスに帰ってしまったモーズリーを呼び戻すのではなく、地元のミュージシャンでバンドをリニューアルすることにした。1988年再結成時のメンバーは、ギターのエド・バーナーとデイヴ・メアーズ、ベースのマイク・ラドクリフ、キーボードのマイク・レイルトン、ドラムスのカヤ・プライアーとヨンテ・ウィルキンス[18]。後にギタリストのマイケル・マークォート(英語版)がドラマーとして参加した[19][20]。ただし1989年シングルの「Magic」がリリースされる頃にはメンバーは減り5人編成となっていた(スコア、バーナー、ラドクリフ、レイルトン、プライアー)。
1994年のメンバー変更では、スコアとバーナーにドラムスのA.J.マツェッティとベースのディーン・プシェットが加わった。このカルテットでレコーディングした1996年の5thアルバム「The Light at the End of the World(英語版)」は前作に続きチャート入りを逃した。
1998年、バーナー、マツェッティ、プシェットがバンドを去り、ジョー・ロドリゲス、ダリル・サンズ、ロブ・ライトが加入した。1999年バンドはマドンナの「マイ・プレイグラウンド」をカバーし、2000年のトリビュート・アルバム「Virgin Voices: A Tribute to Madonna - Volume Two」[21]と2006年のトリビュート・アルバム「The World's Greatest 80s Tribute to Madonna」[22]に収録された。2003年にはバンド創設メンバーの、スコア兄弟、レイノルズ、モーズリーがVH1のテレビ番組Bands Reunited(英語版)出演のため一夜限りの再結成。番組では「I Ran (So Far Away)」と「Space Age Love Song」を披露した。2004年も再度オリジナルメンバーが集結しツアーを行った。ツアーはその後マイク・スコアと新メンバー(ロドリゲス、新規加入のパンドゥ(ベース)とマイケル・ブラーム(ドラムス))に引き継がれた。翌年はこの新メンバーでテレビ番組Hit Me Baby, One More Time(英語版)のアメリカ版に出演し、「I Ran (So Far Away)」とライアン・カブレラ(英語版)の「On The Way Down(英語版)」を演奏した[23]。
2011年6月、レイノルズとモーズリーはリヴァプールのCroxteth Park(英語版)で開催された音楽イベント「Croxteth Country Park Free Music Festival」にフロック・オブ・シーガルズの名で参加した[24][25]。
2013年2月、スコアはYouTubeのアカウントでソロ活動の準備中であると明かし、同月シングル「All I Wanna Do」を[26]、翌年1月にもシングル「Somebody Like You」をリリースした[27]。2013年7月、デイリーニューズの取材に対しスコアは、ツアーの機材を満載した車が盗難に遭い、7万ドル相当の機材とスコアのソロ・アルバム「Zeebratta(英語版)」用の曲を保存したHDDが失われたことを明かした[28]。これによる遅延はあったものの、何とか自宅のデータで復旧し2014年3月にアルバムをリリースすることができた。2016年にドラムスがブラームからケヴィン・ランキンに交代。2017年にはギターのロドリゲスがカナダのSpoons(英語版)から移籍したゴード・デップに交代した。
2018年5月3日、オリジナルメンバー4人による6thアルバム「Ascension(英語版)」の制作が発表された[29]。オリジナルメンバーとしては実に34年振りとなるこのアルバムは、6月以降CD版及びMP3のダウンロード版が相次いでリリースされた。プラハ・フィルハーモニー管弦楽団と共演した既存曲のオーケストラ・バージョン11曲と新曲「Ascension」が収録されている[30]。6月6日には「Space Age Love Song」のミュージック・ビデオがYouTubeでプレミア公開され[31]、2日後に同曲5バージョン入りのEPがダウンロード販売された[32]。12月には「I Ran (So Far Away)」もシングルとしてリリースされた。
2019年7月、引き続きオリジナルメンバー4人の名義でアルバム「Inflight – The Extended Essentials」がリリースされた。新規録音された往年のヒット10曲のエクステンデッド・バージョンが収録され、インストゥルメンタル・バージョンと、「Wishing (If I Had a Photograph of You)」の各種リミックス、ダウンロード専用のボーナス曲を追加したボックス・セットも同時リリースされた[33]。
一方で彼らがニュー・ウェイヴの先駆者かつ時代を代表する存在として評価されているのも事実である。レイノルズの高度なギタープレイや、シンセサイザーが織りなすサウンド面での評価も高い[37]。彼らがデビュー作にしてエイリアン襲来を仄めかすSFテーマのコンセプト・アルバムを成功に導いたことも特筆に値する[38]。ビルボード誌のロバート・クリストガウは彼らが正統派のニュー・ウェイヴファンから否定的に見られることを理解しつつも、陽気で機械的なボーカルと歌詞、それが歌う対照的で不気味な世界の破滅、人間味のあるドラムスとギターによるポスト・パンク的なロック・サウンドといった独自性を称賛している[39][40]。彼らはまたJive、VH1 Classic、Legacy Recordingsが企画した'80sミュージシャンのコンピレーションCDシリーズ「We Are the 80's」において、バングルスやリック・スプリングフィールド、ラヴァーボーイらと並んでラインナップに選出されている[41]。
残念ながら「I Ran (So Far Away)」のビッグ・ヒットとそれに続くセールス急降下のため、所謂一発屋としての印象が強くなってしまった[42][43][44]。もちろん歴史的なヒット曲あってこその現象で卑しむべきものではないが、後年VH1のインタビューに対しマイク・スコアは「どのライブでも例外なく皆「「I Ran (So Far Away)」」を聞きたがるからうんざりする」と語った[45]。「俺たちのベスト・ナンバーはあの曲じゃない」とも語っている[45]。しかし「I Ran (So Far Away)」のミュージック・ビデオは低予算ながら大成功を収め、MTVでヘヴィー・ローテーションされた。ビデオ・ミュージック世代のアイコンとして今でも人々の記憶に残っている[46]。
「ザット'70sショー」(テレビドラマ、1998年) - シーズン4第1話「It's a Wonderful Life」。天使が見せてくれた未来の1983年。マイク・スコアそっくりな髪形をしたフェズ(ウィルマー・バルデラマ)が「音楽史を変えるバンドを見つけた」と言って「I Ran (So Far Away)」のサビを口ずさむ。
「Let's Bowl(英語版)l」(バラエティ番組、2001年) - ホストのWally Hotvedt(Rich Kronfeld)がマイク・スコアに扮した「I Ran (So Far Away)」のパロディ・ビデオが流れて観客が大爆笑する。