1901年完成。ただし第2曲のみ、1894年に『忘れられた映像』の一曲として作曲されたもので、1896年に『グラン・ジュルナル』 (Le Grand Journal du lundi) 紙の付録として単独で発表されたあと、変更を加えてこの曲集に組み入れられた。初演は1902年1月11日の国民音楽協会の演奏会で、リカルド・ビニェスによって行われ好評を収める。出版は1901年で、第1曲と第3曲はそれぞれドビュッシーの弟子だったヴォルムス・ドゥ・ロミリー(Worms de Romilly)とニコラ・コロニオ(Nicolas Coronio)に、第2曲は『忘れられた映像』と同じくルアール夫人(Yvonne Rouart)に献呈された[1]。