ケリーを語る上で欠かせないのが、歌である。1973年から地元局のWSNSがホワイトソックスの試合中継を始めた頃から、コミスキー・パークでのホワイトソックス戦で7回表終了と同時に始まるセブンス・イニング・ストレッチで、WSNSの放送ブースからケリーがマイク片手に、専属オルガン奏者のナンシー・ファウストの演奏に乗せて大声で「Take Me Out to the Ball Game」を歌う姿が名物の一つになった。1980年にWSNSがホワイトソックスの放送を打ち切り、翌1981年からホワイトソックスは同じくシカゴのWGN-TVで放送を始めるが、ホワイトソックスの放映権は1年でWFLDに移り、ケリーは1982年からWGN-TVでのカブスの専属実況アナウンサーとなり、名物のセブンス・イニング・ストレッチの歌もカブスの本拠地リグレー・フィールドで以前と同様にWGNのブースにて継続して行われた。ケリーが亡くなってからは有名人のゲストが放送席から観客に呼び掛ける形で歌が始まるようになった。