ハウンド・ドッグ・テイラー

ハウンド・ドッグ・テイラー
出生名 Theodore Roosevelt Taylor
生誕 1915年4月12日
米国ミシシッピ州ナッチェス
死没 (1975-12-17) 1975年12月17日(60歳没)
米国イリノイ州シカゴ
ジャンル ブルース
職業 ミュージシャン、シンガー
担当楽器 ギター
活動期間 1960年~1975年
レーベル ビー&ベイビー・レコード
ファーマ・レコード
アリゲーター・レコード
共同作業者 ハウスロッカーズ(ブリュワー・フィリップス gt.、テッド・ハーヴィー ds.)

ハウンド・ドッグ・テイラー (Hound Dog Taylor 1915年4月12日 - 1975年12月17日) は、アメリカ合衆国ブルースギタリストシンガーエルモア・ジェームス直系の荒削りで豪快なスライド・ギターが特長。ハウンド・ドッグ・テイラー&ザ・ハウスロッカーズを結成して活動し、晩年になってからアリゲーター・レコードからリリースしたアルバムにより注目を集める。

ハウスロッカーズはツイン・ギターとドラムスのトリオ形式で、ベーシストがいない変則的な編成。ここから繰り出されるサウンドは、セカンド・ギターのブリュワー・フィリップスがギタリストでありながらベーシスト的なプレイもするユニークなものであった。

来歴

1915年、ミシシッピ州ナッチェスに生まれる。ギターを弾き始めたのは20歳の頃であった[1]。小作人として農業に従事する傍らミシシッピ州のジュークジョイントでプレイをしていたが、1942年にシカゴに移住する。

シカゴではサウスサイド、ウェストサイドを中心にプレイするようになった。フレディ・キングのインスト・ナンバー"Hideaway"は、テイラーがこの頃シカゴのクラブで演奏していたものをキングが聴き、自分のレパートリーに取り入れたと言われている[2]

1960年には零細レーベル、ビー&ベイビーから、1962年にはファーマよりシングルをリリースしシカゴのシーンで人気を博すが、彼の存在が広く知られるには至らなかった[2]

1967年にはチェス・レコード傘下のチェッカーにもレコーディングを行っているが、当時はリリースされなかった[1]。この頃アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバルのバンド・メンバーとしてヨーロッパ・ツアーも経験しているがあくまでもサポート役であり、注目を浴びるには至っていない[1]

1970年、ミシガン州のアンアーバー・ブルース・フェスティバルに出演する。翌1971年、テイラーとハウスロッカーズはアリゲーター・レコードからアルバム・デビューを果たした。

アリゲーターは、レーベルの創設者のブルース・イグロアがテイラーのレコードをリリースするために立ち上げたレーベルであった。彼はそれまではデルマーク・レコードに勤務していたが、テイラーのレコードをデルマークでリリースすることを進言したものの断られたため、自己のレーベル設立に至った[3]

テイラーは、1973年にはセカンド・アルバムNatural Boogieをリリースし、1975年にはライブ盤Be Ware of the Dog!のリリースを準備していたものの、同年シカゴでガンのため死去。同作は彼の死去後にリリースとなった。

1982年、ハウスロッカーズの未発表曲集Genuine Houserocking Musicがリリースされ、グラミー賞にノミネートされる[1]

2004年になって、未発表ライブ音源集Release the Hound (邦題: この猟犬スライドに憑き)がリリースされ、再度注目を集めた。同作は、2004年のブルース・ミュージック・アウォードの歴史的アルバム賞を受賞している[4]

ディスコグラフィー

  • 1971年 Hound Dog Taylor and the Houserockers (Alligator)
  • 1973年 Natural Boogie (Alligator)
  • 1975年 Beware of the Dog! (Alligator)
  • 1982年 Genuine Houserocking Music (Alligator)
  • 2004年 Release the Hound (Alligator)

使用楽器

KAWAI SH-40V
KAWAI S-180
Teisco

参考文献

外部リンク

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