1962年、シカゴの将来有望なガール・グループであるザ・ドリーメッツはニューヨーク州ハーレムにあるアポロ・シアターの有名な「アマチュア・ナイト」に出演しようとする("I'm Lookin' for Something", "Goin' Downtown", "Takin' the Long Way Home")。このグループはふくよかなリード・シンガーのエフィ・ホワイトと親友ディーナ・ジョーンズおよびロレル・ロビンソンで構成されている。このコンテストでザ・ドリーメッツはエフィの兄弟C.C.が作曲した『Move (You're Steppin' on My Heart) 』を歌うことになっており、C.C.も同行する。残念ながらコンテストでは落選したが、舞台裏でザ・ドリーメッツとC.C.は中古車販売員のカーティス・テイラー・ジュニアと出会い、カーティスはザ・ドリーメッツのマネージャーとなる。
カーティスは人気R&Bスターのジェイムズ・アーリー(愛称サンダー)と彼のマネージャーのマーティを説得してザ・ドリーメッツをバックアップ・シンガーとして雇わせる。ジェイムズとザ・ドリーメッツの初めての演奏は成功したが("Fake Your Way to the Top")、ジェイムズは新曲のことで頭がいっぱいである。カーティスはジェイムズとマーティに、伝統的なR&Bとソウルの枠を越えてポップ市場を狙うべきだと説得する。C.C.はジェイムズとザ・ドリーメッツのために『Cadillac Car 』を作曲し、彼らはツアー公演を行ない("Cadillac Car (On the Road)")、戻るとシングルをレコーディングする("Cadillac Car (In the Recording Studio)")。『Cadillac Car 』はポップ・チャートでヒットし始めるが、白人のポップ・シンガーのデイヴ・アンド・ザ・スウィートハーツがこれをカバーして("Cadillac Car" (リプライズ))ヒットを奪う。これに怒ったカーティス、C.C.、ジェイムズのプロデューサーのウェインは、全米のDJに次のシングル『Steppin' to the Bad Side 』をかけるよう賄賂を贈る。この結果、この曲はポップ・チャートで大ヒットする。カーティスがマーティの領域であるジェイムズの活動に干渉し、カーティスとマーティは対立するようになる。エフィとカーティスが交際を始め、既婚者のジェイムズがロレルと不倫し始めたことから事態はさらに複雑なものになっていく("Party, Party")。
カーティスはジェイムズをペリー・コモのようなポップ歌手にしようと企て("I Want You Baby")、ザ・ドリーメッツを独自にヒットさせようと、「ザ・ドリームズ」に改名してより洗練させて見た目も音楽もポップに近付ける。最大の変化はリード・シンガーがエフィからディーナに代わったことである。エフィはこれに憤慨する。C.C.はエフィにカーティスのプランに従うよう説得する("Family")。カーティスとマーティは喧嘩となり、マーティはジェイムズのマネージャーを辞めたためカーティスが後任となる。新生ザ・ドリームズはオハイオ州クリーブランドのクラブであるクリスタル・ルームでデビューし、ファースト・シングルを歌う("Dreamgirls")。ショーは成功し、マスコミが押し寄せる("Press Conference")。カーティスはディーナに「史上最も有名な女性にしてみせる」と宣言し、ないがしろにされたエフィは「私は?」と尋ねる("Only the Beginning")。数年でザ・ドリームズはシングルがヒットし続けて主流に乗る("Heavy")。ディーナがスターとしての名声が向上する一方、エフィは神経質で我儘になっていく。エフィはカーティスがディーナと浮気をしているのではないかと疑う。ロレルは彼らと穏便に過ごそうとするが、事態は修復不可能なことを痛感する。
1967年、グループは「ディーナ・ジョーンズ・アンド・ザ・ドリームズ」となり、ラスベガスに初登場する。ジェイムズが立ち寄ると("Drivin' Down the Strip")、エフィが病気で休演中であると知る(のちにカーティスの子を妊娠していることが明かされる)。カーティスとディーナはエフィが公演を妨害するために休んでいるのだと考える。カーティスはエフィの代わりに新人歌手ミシェル・モリスを出演させ、エフィはこのことを誰かから聞く前に知ってしまう。エフィはカーティス、C.C.、メンバーたちと向き合い("It's All Over")、カーティスに個人的に話し合おうとするが("And I Am Telling You I'm Not Going")、傷心のエフィはディーナ・ジョーンズ・アンド・ザ・ドリームズが自分なしでどんどんヒットするのを横目に去っていく("Love Love Me Baby")。
第2幕: 1970年代
1972年までに、ディーナ・ジョーンズ・アンド・ザ・ドリームズは全米で最も成功したガール・グループとなる("Act II Opening" 1)。ディーナはカーティスと結婚し、C.C.はミシェルと交際する。ジェイムズは何年もヒット曲がない。カーティスはジェイムズの再生に少し興味を見せる。ディーナとジェイムズのファンク風の特徴をジェイムズの持つポップ風の曲に取り入れることを考えたのである。エフィが娘マジック(公演によってはロナルド)を連れてシングル・マザーとしてシカゴに戻ってくる。エフィのマネージャーとなったマーティはなんとかエフィの信頼を回復させようとする。一旦エフィはショー・ビジネスにカムバックする("I Am Changing")。エフィが音楽業界へ困難ながらも復帰する一方、ディーナは歌うことをやめて女優になりたがっている。ディーナは『ヴォーグ』撮影中、カーティスに転身の計画を語るが("One More Picture Please")、カーティスは聞き流す("When I First Saw You")。カーティスのコントロール下でイライラしているのはディーナだけではなかった。C.C.は自分が作曲した曲をカーティスが編曲を加えることに激怒する。カーティスはC.C.が作曲した感情的なバラード『One Night Only 』でさえディスコ調でレコーディングしようとするのである。
ディーナ・ジョーンズ・アンド・ザ・ドリームズとジェイムズ・アーリーはザ・ファイブ・タキシードズ("Got to Be Good Times")などが出演する民主党の資金集めイベントで演奏することになる。舞台裏で出番を待っている時、ロレルがジェイムズに妻に自分たちの関係を明かす気があるのかと口論となる("Ain't No Party")。ジェイムズが舞台に上がり、ロレルは泣いてディーナは慰める。ジェイムズは曲を通じてロレルに語り("I Meant You No Harm")、ディーナはロレルが問題を解決できるよう助けるつもりである。ミシェルはC.C.に姉妹であるエフィを探して仲直りするよう説得する("Quintette")。『I Meant You No Harm 』演奏中、ジェイムズは動揺して「もう悲しい曲は歌えない」と語る。予定の曲があったにもかかわらずジェイムズはファンクの曲を歌い("The Rap")、ズボンをおろす。恥をかかされたカーティスはジェイムズが舞台を降りた直後、ジェイムズを解雇する。ロレルもジェイムズとの関係をこれで終わりにする。傷心のジェイムズは徐々に表舞台から消えていき、カーティスに助けを求めることを拒否する。
マーティはC.C.と会い、レコーディング・スタジオでエフィと仲直りさせる("I Miss You, Old Friend")。C.C.はこれまでエフィのキャリアを助けることができず謝罪し、エフィはC.C.の『One Night Only 』をオリジナルのバラードでレコーディングする。『One Night Only 』はチャートで順位を上げ始めるが、カーティスはこれに激怒しディーナ・ジョーンズ・アンド・ザ・ドリームズ版の発売を急がせるだけでなく、巨額を投じてDJを買収してエフィ版をかけずにディーナ版をかけるよう働きかける("One Night Only (Disco)")。エフィ、C.C.、マーティはカーティスの陰謀を知り、ドリームズのコンサートの舞台裏でカーティスと対峙し、法的訴訟を起こすと脅す("I'm Somebody", "Chicago/Faith in Myself")。カーティスは不正行為をなかったことにするためエフィの弁護士と会う。エフィとディーナは仲直りをし、ディーナはエフィの娘のマジックがカーティスの子であることに気付く。カーティスの正体を知ったディーナはついにカーティスのもとを離れ、自分で自分の人生を歩んでいく決心をする("Listen" 2)。エフィの『One Night Only 』は第1位のヒットとなり、ザ・ドリームズは解散したためディーナは映画界へ進む("Hard to Say Goodbye, My Love")。ザ・ドリームズの解散コンサート最後にエフィが舞台で合流し、4名のドリームズが最後の曲を歌う("Dreamgirls (リプライズ)")。
オリジナル・ブロードウェイ・プロダクション
背景
『ドリームガールズ』はネル・カーターへのプロジェクトから始まった。1975年、脚本家トム・アインと作曲家ヘンリー・クリーガーはアインの脚本『The Dirtiest Show in Town 』のミュージカル版で共に活動したことがあった。カーターはこのミュージカルに出演し、カーターの演技はアインとクリーガーに黒人バックアップ・シンガーについてのミュージカル『One Night Only 』を想起させ、その後『プロジェクトNo.9』と呼ばれるようになった[2]。『プロジェクトNo.9』はプロデューサーで演出家のジョセフ・パップのためにワークショップが行われた。ネル・カーターの他、シェリル・リー・ラルフ、ロレッタ・デヴァインが参加した。しかし1978年にカーターがソープ・オペラ『Ryan's Hope 』に出演することになったため延期になった。
1年後、『プロジェクトNo.9』は当時『コーラスライン』で成功をおさめていた演出家マイケル・ベネットの目に留まり、再開されることになった。ラルフとデヴァインが再び参加し、『Big Dreams 』としてベネットはアインにワークショップを開始させた。この時のキャストはベン・ハーニー、オッバ・ババタンデ、クリーヴァント・デリックスで、カーターがNBCの『Gimme a Break 』の主演を引き受けたため後任に20歳のゴスペル・シンガーのジェニファー・ホリデイが就いた。しかしワークショップ期間中、ホリデイはこの物語が好きではなく、エフィ・ホワイト役が亡くなって終わることに落胆したため降板した。アイン、ベネット、クリーガーは物語や楽曲の見直しを続けた。シェリル・ゲインズと歌手で女優のフィリス・ハイマンがホリデイの後任の候補に挙がった。
1982年、ホリデイによるエフィのソロ曲『And I Am Telling You I'm Not Going 』は『ビルボード』誌のR&Bシングル・チャートで第1位を獲得した。オリジナル・ブロードウェイ・キャスト・アルバムのために各曲を半分くらいにカットしてリミックスした。グラミー賞においてこのアルバムはミュージカル・アルバム賞、ジェニファー・ホリデイの『And I Am Telling You I'm Not Going 』はヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞した。
マイケル・ベネット、ヘンリー・クリーガー、トム・アインおよびプロデューサーたちはこの作品とスプリームスとの関連性は否定している。スプリームスに関わる実際の出来事とこの作品の中の出来事は似ているが、モータウン、ベリー・ゴーディ、スプリームスからの法的訴訟を避けるために関連性を否定している。スプリームスのメアリー・ウィルソンはこの作品をとても気に入り、初めての自伝に『Dreamgirl: My Life As a Supreme 』と名付けた。1983年7月、ダイアナ・ロスはニューヨークのセントラル・パークで開催された無料コンサートにおいて『ドリームガールズ』第1幕で使用される『Family 』を演奏した。ディーナ役はロスをモデルにしているとされるが、ディーナ役を演じたシェリル・リー・ラルフはロスの物真似をしてはいないが、ロスに類似している。
映画版『ドリームガールズ』はカーティス役にジェイミー・フォックス、ディーナ役にビヨンセ・ノウルズ、ジミー役にエディ・マーフィ、マーティ役にダニー・グローヴァー、エフィ役にジェニファー・ハドソン、ロレル役にアニカ・ノニ・ローズ、C.C.役にキース・ロビンソン、ミシェル役にシャロン・リール、ウェイン役にヒントン・バトルが配役された。2006年12月15日から10日間のロードショーが行われ、12月25日から全米公開された[11]。日本は2007年公開。ロレル役のオリジナル・ブロードウェイ・キャストであるロレッタ・デヴァインが映画のジャズ歌手役でカメオ出演している。ブロードウェイ・キャストでは他にジェイムズ役のヒントン・バトルとシャーリーン役およびエフィの代役であったイヴェット・ケイソンも映画版に出演している。映画版の音楽は舞台版に概ね沿っているが、舞台版の『Ain't No Party 』が削除され、4曲の新曲が追加された。映画版ではよりスプリームスやモータウンに近付けたものとなり、ジェイムズの死が追加され、場所がシカゴからデトロイトとなった。映画版はアカデミー賞において音響賞の他、ジェニファー・ハドソンが助演女優賞を受賞した。
1 オリジナルの第2幕のオープニングは"Dreamgirls", "Move (You're Steppin' on My Heart)", "Love Love Me Baby", "Family", "Heavy", and "Cadillac Car"のリプライズで、ディーナ・ジョーンズ・アンド・ザ・ドリームズが演奏し、その後"Press Conference"でカンパニーのほとんどが参加していた。1983年に全米ツアーが開始した際、第2幕のオープニングは"Dreamgirls"のリプライズから成り、新曲"Step on Over"が演奏された。2009年の全米ツアーでは新曲"What Love Can Do"が使用された。映画版のためにヘンリー・クリーガーと共に“Patience”を作曲したウィリー・リールがこの曲の作詞をした[14]。
^Tom Eyen denied that he had the Supremes in mind when he wrote the book. "I didn’t grow up with the Supremes, I grew up with the Shirelles. Dreamgirls isn’t about any one group. It’s a cavalcade of black Motown singers, ...all larger than life." retrieved February 27, 2007
^One Singular Sensation: The Michael Bennett Story, by Kevin Kelly, Doubleday, 1990
^Hill, Jeremy. "Pre-Broadway. Dreamgirls: Your Virtual Coffee Table Book of the Musical.
^Dodds, Richard. 2010. "Master of the Silhouettes: "Dreamgirls" Costume Designer William Ivey Long," Bay Area Reporter ("Arts & Entertainment" section) Vol. 40. No. 33 (19 August 2010), pp. 21, 32.