ペドロ・トマス・レニョネス・クレーゴ(Pedro Tomás Reñones Grego, 1960年8月9日 - )は、スペイン・ガリシア州サンティアゴ・デ・コンポステーラ出身の元同国代表サッカー選手、元政治家。ポジションはDF。
クラブ経歴
1980-81シーズン、当時セグンダ・ディビシオンBに所属していたSDコンポステラで国内リーグ初出場。同シーズン終了後、アトレティコ・マドリードのBチームに引き抜かれ、在籍2シーズン目にはセグンダ・ディビシオン優勝を経験した[1]。
1984-85シーズン開幕前、アトレティコ・マドリードのトップチームへと昇格。トップチームデビューシーズンからリーグ戦32試合に出場し、コパ・デル・レイでは優勝に貢献した[1]。その後もアトレティコ・マドリードで8シーズン連続リーグ戦30試合以上に出場し、クラブでの公式戦通算出場は483試合を記録した[2]。1995-96シーズン、クラブはリーグとコパ・デル・レイの国内2冠を達成したが、トマスはリーグ戦17試合のみの出場に終わった。同シーズン終了後、クラブを退団してCAマルベジャに加入。1998年、UDサン・ペドロで現役から引退した[3]。
代表経歴
1985年11月20日、オーストリア代表との親善試合でスペイン代表初キャップを記録[4]。
トマス自身初の国際大会となった1986 FIFAワールドカップでは、ベスト4でベルギー代表にPK戦で敗れるまで全5試合に先発フル出場を果たした。2年後のUEFA EURO1988でもレギュラーとしてグループステージ全3試合にフル出場したが、グループステージのイタリア代表戦と西ドイツ代表戦に敗れてグループステージ敗退となった。
現役引退後
現役引退後は元アトレティコ・マドリード会長のヘスス・ヒルから誘いを受け、極右政党グルポ・インデペンディエンテ・リベラル(英語版)(GIL)に入党。2006年にはマルベーリャの市長に当選したが、同年に発覚した汚職事件であるマラヤ事件(スペイン語版)によって9ヶ月の執行猶予付き有罪判決を受けた[5]。
タイトル
- アトレティコ・マドリレーニョ
- アトレティコ・マドリード
個人成績
関連項目
脚注
外部リンク
- トマス - BDFutbolによる個人成績 (英語)
- トマス - National-Football-Teams.com