テレヴィジオン・スイス・ロマンド(仏語 Télévision Suisse Romande)は、スイスのフランス語圏を放送対象地域とする放送局である。TSR 1、TSR 2の2つのチャンネルを持つテレビ・ネットワークであり、スイス放送協会の一部門である。TV5MONDEにコンテンツを供給する局である。開局以来、500本を超える映画を製作する映画製作会社でもある[1]。略称はTSR(テー・エス・エル)。
略歴・概要
略歴
番組
同局の人気番組には、下記がある。
- 『ル・19:30』では、2008年(平成20年)に13人のスイスの映画監督がつくった短篇映画『演出家たちの日記』を番組の冒頭に放映する企画を行なった。スイスの高名な映画作家ジャン=リュック・ゴダールも『演出家たちの日記 - ゴダール篇』でこれに参加した。
- 『聴取者のみなさまへ』(À Bon Entendeur) - 消費者マガジン番組[6]
- 『現在』(Temps Présent) - 最新イヴェント番組[7]
- 『双子をわたして』(Passe-moi les jumelles)[8]
- 『ヌーヴォ』(Nouvo) - テクノロジー・メディア・コミュニケーションのニュース雑誌番組[9]
- 『赤外線』(Infrarouge) - ディベート番組[10]
- 『TTC』[11]
- 『説明』(Mise Au Point)[12]
同局の放送はスイス全土、あるいは近隣諸国でも受信可能である。
映画製作
スイスのフランス語圏における映画製作に、人的にも経済的にも、開局当初から関わってきた歴史がある。
1954年(昭和29年)の開局とともに、ジャン=ジャック・ラグランジュが演出部には在籍しており、同時期には16歳で入局したジャン=ルイ・ロワが撮影部に勤務していた。1956年(昭和31年)、フランスのヌーヴェルヴァーグにも影響を与えた、イギリス・ロンドンでの「フリー・シネマ」運動に関わった当時20代のアラン・タネールとクロード・ゴレッタが、ロンドンで製作した短篇映画が1957年(昭和32年)のヴェネツィア国際映画祭で実験映画賞を受賞した後、1958年(昭和33年)に先に帰国したゴレッタを受け入れたのは、この放送局であった。タネールも1960年(昭和35年)には、同局でテレビ映画のドキュメンタリー演出を始めている。これに1961年(昭和36年)に同局の演出部に入り、演出助手となったミシェル・ステーが加わり、彼らは、それぞれ、短篇映画を製作し始める。
彼ら5人が、1968年(昭和43年)に結成したのが、映画製作集団「グループ5」であり、彼らの本格的な映画製作に、同局は積極的に資金援助を行なった。同じころ、彼らよりも10年若いイヴ・イェルサン、クロード・シャンピオンが同地域のローザンヌに「ミロス・フィルム」を起こし、映画製作を開始すると、イェルサンたちと同世代の同局演出部、フランシス・ロイセールもイェルサンたちに合流している。グループ5とミロス・フィルムは、カンヌ国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭でつぎつぎに受賞をするが、同局は、これらの作品に出資、共同製作をしていた。
- 詳しくはグループ5の項目も参照。
1979年(昭和52年)には、フランスからジャン=リュック・ゴダールとアンヌ=マリー・ミエヴィルが、同地域のロールに移住し、工房を構える。同年のゴダールの商業映画復帰第1作『勝手に逃げろ/人生』にはじまり、同作以降、現在に至るまで、ほとんどすべてのゴダールとミエヴィル作品に、同局は出資、共同製作をしている。
- 詳しくはJLGフィルム、ペリフェリアの項目を参照。
テレヴィジオン・スイス・ロマンドは、開局以来、500を超える映画を製作している[1]。同局の存在が、映画作家のみならず、フランソワ・ミュジーのような録音技師やピエール・バンジェリのような撮影監督が同地域にスタジオを構え、映画製作に携わり、つづく人材を育てることを可能にしている。
関連事項
註
外部リンク