18世紀、テルナテにはオランダ東インド会社の出先機関が置かれ、モルッカ諸島北部における貿易の統制を図った。19世紀には香料貿易は全く振るわなくなっていたため、テルナテはオランダ植民地の中では外縁に追いやられた。しかし、オランダはこの地域に他国が進出するのを望まなかったので、テルナテの支配を維持した。1800年にオランダ東インド会社が国有化された後、テルナテはオランダのモルッカ諸島総督府(オランダ語: Gouvernement der Molukken)の一部となった。1810年、一時的にイギリスの占領下に置かれたが、1817年には奪回された。1824年、テルナテはハルマヘラ、ニューギニア西海岸、スラウェシ中東部海岸を含む行政区の首都となった。1867年、オランダ領ニューギニアの全体が行政区に編入されたが、それらは徐々にアンボン行政区に移管され、1922年には行政区自体が廃止された。
スルタンHaji Muhammad Usman(在位1896年 – 1914年)は、オランダへの最後の反乱を試みたものの失敗し、地位と財産を失ってバンドンへ追放され、1927年に死去した。1914年から1927年までスルタンは空位となったが、オランダの了解のもと、摂政団がIskandar Muhammad Jabir王子をスルタンに立てたことによりようやく解消された。
脚注
^Witton, Patrick (2003). Indonesia (7th edition). Melbourne: Lonely Planet. p. 821. ISBN1-74059-154-2
^Ricklefs, M.C. (1993). A History of Modern Indonesia Since c. 1300, 2nd Edition. London: MacMillan. p. 24. ISBN0-333-57689-6
^Ricklefs, M.C. (1993). A History of Modern Indonesia Since c. 1300, 2nd Edition. London: MacMillan. p. 25. ISBN0-333-57689-6
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