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この項目では、イタリアの菓子について説明しています。2002年の香港映画については「ティラミス (映画)」をご覧ください。 |
ティラミス(イタリア語: Tiramisù、ヴェネト語: Tiramesù [tirameˈsu])は、北イタリア生まれのデザートの一種。
語源の «Tirami su!» はイタリア語で「私を引っ張りあげて[1]」、また転じて「私を元気づけて」の意味。世界的に有名なイタリアのデザート。イタリア北東部ヴェネト州のトレヴィーゾで1970年代に生まれたとされるが、異説もある[2]。
作り方
適度な大きさの型にエスプレッソを染み込ませたビスコッティ・サヴォイアルディ(サヴォイアのフィンガービスケット)を敷き詰め、その上からマルサラワイン・砂糖と共に卵黄を温めながらかき立てたカスタードソース「ザバイオーネ」とマスカルポーネチーズを合わせた「ザバイオーネ・クリーム」を流し入れ、同工程を2 - 3層繰り返し、型を埋め尽くし冷し固める。仕上げは表面にココアパウダーをふりかけて風味付ける[3]。
歴史
世界
ヴェネト州政府によれば、ティラミスは1970年代に同州トレヴィーゾのレストラン「レ・ベッケリエ」において創作された[2]。しかし、1950年代に隣接するフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州のレストランで考案されたものとする見解もあり、ティラミス発祥の土地や年代をめぐっては論争が存在する[2]。「レ・ベッケリエ」でティラミスを考案したとされるイタリア人菓子職人アド・カンペオル (Ado Campeol) は「ティラミスの父」として知られた。原料のマスカルポーネはロンバルディア州のチーズ、ビスコッティおよびクリームのベースとなるザバイオーネはピエモンテ州の郷土デザートである。
米国では1970年代終わりから1980年代初めにかけてブームになった。
日本
1980年代後半に起きたイタリア料理ブーム(1988年頃から「イタ飯」と呼ばれる)に乗り、それまで都心の高級イタリアンレストランのメニューには存在したティラミスだが、1986年にデニーズがメニューに導入した。ただその時はほとんど知名度は上がらず、1990年のバブル期にHanako(同年4月12日号)が取り上げたのを機に大ブームになった。Hanakoをきっかけにテレビのグルメ番組でも紹介され、デパートでもマスカルポーネの代用品、業務用マスカポーネ(植物性油脂)が置かれるようになり、作り方も紹介された。また街のケーキ店や各メーカーも商品化していくようになり、後にコンビニのデザートコーナー(その頃はまだスイーツと言わずデザートといった)などにも置かれるようになった。その結果、ショートケーキ、モンブラン、シュークリームなどと共にデザートの一ジャンルとして定着した。
ただし1980年代の時点では、都心の高級レストランはもとよりデニーズの店舗数は限られており、メニューにあったことも多くの人は知らなかった。当時はまだインターネット社会になっておらず、取り寄せもできない。バブル期はティラミスは情報として知られただけで、雑誌で紹介された店に足を運んだのは一部に限られ、多くの人は実際には口にしていなかった。コンビニなどで商品化され多くの人が口にするようになったのは、Hanakoで取り上げられて大分経ってからのことである。
1970年代にスポンジケーキ風の元祖チーズケーキがブームになり定着したのに続いて、1980年代初頭の日本ではレアチーズケーキが大ブームになり、チーズクリームを包んだクレープも80年代初頭の時点で既に一般スーパーで市販され、一部学校給食にも出ていた。その約10年弱後に起きたティラミスブームだが、ティラミスが新鮮に受け取られたのはチョコレートパウダーとコーヒーシロップが使われていたことだった。それまではチョコやコーヒーとチーズクリームの組み合わせはまだ珍しかった。
レ・ベッケリエ (Le Beccherie)
ティラミス発祥の地と言われるヴェネト州トレヴィーゾにあったレストラン[4][5]で、シェフのロベルト・リングアノットがバニラアイスクリームを作っている際の手違いから生まれたと言われている。
リングアノットが卵と砂糖の入ったボウルに誤ってマスカルポーネチーズを落としてしまったのだが、それがとてもよい味だったので、アド・カンペオルの妻アルバに伝えた。2人は試行錯誤し、最終的にコーヒーに浸したビスコッティ・ザヴォイアルテを加え、ココアをふりかけて「ティラミス」を完成させた[6]。
オーナーであったアド・カンペオルは2021年10月30日に93歳で死去。ヴェネト州知事のルカ・ザイアが自身のFacebookで哀悼の意を表した[7]。
参考文献
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
ティラミスに関連する
メディアおよび
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脚注