この項目では、アメリカのロックバンドについて説明しています。
ステッペンウルフ(1970年)
ケイ・アンド・ステッペンウルフ(2007年)
ステッペンウルフ (Steppenwolf )は、1967年に結成されたロックバンド 。「ワイルドでいこう! (ボーン・トゥ・ビー・ワイルド)」や「マジック・カーペット・ライド」、「モンスター/スーサイド/アメリカ」、「レネゲイド」、「ザ・プッシャー」などが代表作。バンド名は、ヘルマン・ヘッセ の小説『荒野のおおかみ 』(Der Steppenwolf )から名付けられた。彼らは1960年代に熱狂的なファンの支持を得て、現在までに全世界で2,500万枚以上のアルバムの売り上げを記録している[7] 。
歴史
ステッペンウルフは、元々トロントのブルース ・バンド「ザ・スパロウズ」として活動していた。このバンドは1964年に結成され、トロントのヨークヴィル地区にあるコーヒー・ハウス で演奏していた。1967年に彼らはサンフランシスコ に移住し、ブルースロック 、サイケデリア およびフォークミュージック が混合されたエネルギッシュな音楽を演奏した。ロサンゼルス のダンヒル・レコード のプロデューサーであったガブリエル・メイラーは彼らに、より強烈なビートのバンドの編成を提案し、ヘルマン・ヘッセ の1927年の小説名からとって、彼らをステッペンウルフ と名付けた[2] 。
デビュー・アルバム『ワイルドでいこう! ステッペンウルフ・ファースト・アルバム』のレコーディング中に、ベーシストがラシュトン・モーヴからジョン・ラッセル・モーガンへ交代している。ステッペンウルフは、デビュー・アルバムからシングルカットされた3枚目のシングル「ワイルドでいこう! 」と、ホイト・アクストン の楽曲のカバーである「ザ・プッシャー」の2曲が映画『イージー・ライダー 』の作中で用いられたことにより、世界規模の知名度を得た。「ワイルドでいこう!」は、ジェリー・エドモントンの兄で、ザ・スパロウズ時代およびステッペンウルフ時代初期のリードギタリストであったデニス・エドモントンによって制作された。デニスはソロ活動を行うためにステッペンウルフを脱退し、マーズ・ボンファイヤー (Mars Bonfire )名義で活動した。「ワイルドでいこう!」はチャート2位を記録した。この曲は、ロックの歌詞に「ヘヴィメタル 」という言葉を織り込んでいる(実際には、この言葉は音楽のジャンルではなくバイクを表している)。
この曲に続いていくつかのヒットソングが発表された。例を挙げると、セカンド・アルバム『ザ・セカンド』収録の「マジック・カーペット・ライド」(チャート3位)、サード・アルバム『ステッペンウルフとバースデイ・パーティー』収録の「ロック・ミー」(Rock Me、チャート10位)などである。2枚組アルバム『ライヴ』について、ジョン・ケイは自叙伝『Magic Carpet Ride』で個人的にこのアルバムが嫌いであると述べている。
保守派のニクソン が大統領だった時代のアメリカを批判するアルバム『モンスター』と、『ステッペンウルフ・7』の2作品は、バンドの最も政治色の強いアルバムである。
ステッペンウルフは1971年、同じく政治的コンセプトのアルバム『フォー・レディズ・オンリー』のリリース後、1972年のバレンタインデーに突然活動休止を発表。ケイはソロ活動に移行する。1974年にはステッペンウルフが再結成されてアルバム『スロー・スラックス』をリリース、収録曲「ストレート・シューティン・ウーマン」(Straight Shooting Woman)が小規模なヒットを記録した後、1976年に再度解散。1977年から1980年にかけてはツアー のための再結成が行われ、かつてのメンバーであるニック・セント・ニコラス、ゴルディ・マックジョン、ケント・ヘンリー、ラシュトン・モーヴなどを起用したさまざまな形態で活動を行ったが、ケイ本人は参加しなかった。フィル・スペクター のプロデュースにより新しいスタジオ・アルバムが1978年に企画されたが、断念された。別のアルバム『The Night Of The Wolf』は1979年に録音が行われたものの、リリースされなかった。さらに3番目のアルバムが1980年に録音されたが、法的手段によって中止させられた。ケイの自叙伝によると、新たなステッペンウルフは結局、元のバンドの殻に過ぎないと分かり、バンドの評判が低下してしまう原因となった。数件の訴訟が起こされ、バンドの名を守るためにジョン・ケイは1980年代初頭に新たな形態のステッペンウルフを結成し、ジョン・ケイ・アンド・ステッペンウルフ名義でツアー活動を行うようになった。2001年にはソロ・アルバムもリリースしている。
2019年11月22日、ジョン・ケイはバンドの2018年10月14日のライブが最後の公演であると発表した[8] 。
メンバー
創設メンバー
最終メンバー
画像
名前
担当楽器
在籍期間
ジョン・ケイ (John Kay )
リード・ボーカル リズムギター ハーモニカ
1967年 - 1972年 1974年 - 1976年 1980年 - 2018年
マイケル・ウィルク (英語版 ) (Michael Wilk )
鍵盤楽器プログラミング ピアノ バッキング・ボーカル
1981年 - 2007年 2011年 - 2018年
ゲイリー・リンク (Gary Link )
ベース バッキング・ボーカル
1982年 - 1985年 2009年 - 2018年
ロン・ハースト (Ron Hurst )
ドラムス バッキング・ボーカル
1984年 - 2018年
ダニー・ジョンソン (Danny Johnson )
リードギター バッキング・ボーカルマンドリン
1996年 - 2018年
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
『ワイルドでいこう! ステッペンウルフ・ファースト・アルバム』 - Steppenwolf (1968年、Dunhill)
『ザ・セカンド』 - The Second (1968年、Dunhill)
『ステッペンウルフとバースデイ・パーティー』 - At Your Birthday Party (1969年、Dunhill)
『モンスター』 - Monster (1969年、Dunhill)
『ステッペンウルフ・7』 - Steppenwolf 7 (1970年、Dunhill)
『フォー・レディズ・オンリー』 - For Ladies Only (1971年、Dunhill)
『スロー・スラックス』 - Slow Flux (1974年、Mums)
『蒼い狼煙』 - Hour of the Wolf (1975年、Epic)
Skullduggery (1976年、Epic)
Wolftracks (1982年、Attic) ※ジョン・ケイ・アンド・ステッペンウルフ名義
Paradox (1984年、Attic) ※ジョン・ケイ・アンド・ステッペンウルフ名義
Rock & Roll Rebels (1987年、Qwil) ※ジョン・ケイ・アンド・ステッペンウルフ名義
『ライズ&シャイン』 - Rise & Shine (1990年、IRS) ※ジョン・ケイ・アンド・ステッペンウルフ名義
ライブ・アルバム
『アーリー・ステッペンウルフ』 - Early Steppenwolf (1969年、Dunhill)
『ライヴ』 - Steppenwolf Live (1970年、Dunhill)
Live in London (1981年、Mercury)
『ライヴ・アット25』 - Live at 25 (1995年、K-tel)
Live in Louisville (2004年、Rainman)
コンピレーション・アルバム
『ステッペンウルフ・ゴールド』 - Gold: Their Great Hits (1971年、Dunhill)
『レスト・イン・ピース』 - Rest in Peace (1972年、Dunhill)
『ステッペンウルフ・ベスト16』 - 16 Greatest Hits (1973年、Dunhill)
Sixteen Great Performances (1975年、ABC)
The ABC Collection (1976年、ABC)
The Best of Steppenwolf: Reborn to be Wild (1976年、Epic)
『ワイルドで行こう〜ステッペンウルフ・ヒストリー』 - Born to Be Wild - A Retrospective (1991年、MCA)
『グレイテスト・ヒッツ〜ワイルドで行こう』 - The Greatest Hits - Born To Be Wild (1993年、MCA)
Feed the Fire (1996年、Winter Harvest)
『ロック・マスターピース・コレクション ステッペンウルフ・ベスト』 - Rock Masterpiece Collection (1997年、MCA)
Silver (1997年、Phantom Sound & Vision)
All Time Greatest Hits (1999年、MCA)
20th Century Masters – The Millennium Collection: The Best of Steppenwolf (1999年、Universal)
『ワイルドで行こう〜ベスト・オブ・ステッペンウルフ』 - Steppenwolf (2001年、MCA)
『ザ・ベスト1200 ステッペンウルフ』 - The Collection (2003年、Spectrum Music)
『ステッペンウルフ・ゴールド』 - Steppenwolf Gold (2005年、Geffen)
『ABC / DUNHILL シングル・コレクション』 - The ABC/Dunhill Singles Collection (2015年、Real Gone Music)
脚注
注釈
出典
^ a b c d e Deming, Mark. Steppenwolf Biography, Songs, & Albums - オールミュージック . 2022年5月25日 閲覧。
^ a b “BAND BIOGRAPHY ”. Steppenwolf.com . 2022年5月25日 閲覧。
^ Strong, Martin C. (2000). The Great Rock Discography (5th ed.). Edinburgh: Mojo Books. pp. 932-934. ISBN 1-84195-017-3
^ Unterberger, Richie . “The Sparrow Biography, Songs, & Albums ”. AllMusic . All Media Network. 2022年5月25日 閲覧。
^ Bayles, Martha (January 1994). Hole in Our Soul: The Loss of Beauty and Meaning in American Popular Music . University of Chicago Press. p. 246. ISBN 978-0-226-03959-6 . https://books.google.com/books?id=pmcaVNZNF-cC&pg=PA246
^ M'Baye, Babacar ; Hall, Alexander Charles Oliver (July 29, 2013). Crossing Traditions: American Popular Music in Local and Global Contexts . Scarecrow Press. p. 132. ISBN 978-0-8108-8828-9 . https://books.google.com/books?id=VWcSAAAAQBAJ&pg=PA132
^ “Biography ”. John Kay & Steppenwolf. 2015年10月27日 閲覧。
^ “The End of an Era & A New Beginning ”. Steppenwolf.com (2019年11月22日). 2019年12月27日時点のオリジナル よりアーカイブ。2022年5月25日 閲覧。