スウィート・ダディ・シキ(Sweet Daddy Siki、本名:Reginald Siki、1940年6月16日[1] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州モンゴメリー出身のアフリカ系アメリカ人。生年は1938年ともされる[2]。
派手なコスチュームをまとい、黒人でありながら髪をブロンドに染め、試合前に手鏡と櫛でその髪を整えるなどのパフォーマンスから、Negro Gorgeous George(黒いゴージャス・ジョージ)などの異名を持つ[3]。ショーマン派黒人レスラーの先駆者的存在であり、ドロップキックの名手としても知られた[2]。
来歴
元世界ヘビー級王者サンダー・ザボーのトレーニングを受け、1955年にニューメキシコ州のアルティサにてデビュー[4]。デビュー当時は80kg程度の軽量だったものの、3年間で100kgを超えるウエイトアップに成功[4]、1959年2月にはオハイオにてバディ・ロジャースを破り、NWAイースタン・ステーツ・ヘビー級王座を獲得した[5]。
1961年にカナダのトロントに渡り、フランク・タニーが主宰していたメープル・リーフ・レスリングを主戦場に活動。1962年4月4日にはブルドッグ・ブラワーと組んでホイッパー・ビリー・ワトソン&ビリー・レッド・ライオンからNWAインターナショナル・タッグ王座を奪取、9月27日にワトソン&ブルーノ・サンマルチノに敗れるまで戴冠した[6]。地元のテキサスでは1963年2月15日、ヒューストンにてリップ・ホークからNWAテキサス・ヘビー級王座を奪取している[7] 。
1964年よりニューヨークのWWWFにも参戦し、ベビーフェイスのポジションでドクター・ジェリー・グラハム、ハンス・シュミット、カウボーイ・ビル・ワットなどの大物ヒールと対戦。ボボ・ブラジルとも黒人タッグチームを組み、1965年2月16日に当時ジン・キニスキー&ワルドー・フォン・エリックが保持していたUSタッグ王座に挑戦した[8]。
1965年4月には日本プロレスに初来日し、ワールドリーグ戦の第7回大会に「西インド諸島代表」として出場。予選リーグではジャイアント馬場には敗れたものの、芳の里、吉村道明、遠藤幸吉らに勝利するなど、外国人陣営ではドン・マノキャンと並んでフレッド・ブラッシーに次ぐ2位の戦績を残した[9]。また、同年はカルガリーにてドン・レオ・ジョナサンを破り、NWAカナディアン・ヘビー級王座を獲得している[10]。
その後もカナダを活動の拠点に、1971年にはハワイにも進出、ムーンドッグ・メインとの異色コンビで10月9日にベアキャット・ライト&サム・スティムボートからNWAハワイ・タッグ王座を奪取した[11]。以後はカントリー・シンガーとしての活動を開始する一方、1980年まで単発的にトロントのメープル・リーフ・レスリングに出場していた[3][8]。
しばらくリングから離れた後、1984年にプロレス業界に復帰して、1月6日にカルロス・コロンの主宰するプエルトリコのWWCでペドロ・モラレスから北米ヘビー級王座を奪取[12]。同年10月には、当時カナダ東部地区との提携ルートを持っていたUWFに来日。約20年ぶりの日本マット登場が実現し、藤原喜明らと対戦した[13]。帰国後はWWFのオンタリオでの興行にも出場、キッチナーでは当時のWWF世界タッグ王者ディック・マードックのジョバーを務めている[8]。
現役引退後も長年主戦場としていたトロントに居住し、1990年代前半はトレーナーとしてアダム・コープランドらをコーチした[14]。以降もトロントにてカントリー&ウエスタンのバンドやDJなどの音楽活動を行っている[4]。
得意技
獲得タイトル
- NWAオハイオ
- NWAイースタン・ステーツ・ヘビー級王座:1回[5]
- メープル・リーフ・レスリング
- スタンピード・レスリング
- NWAオールスター・レスリング
- NWAビッグタイム・レスリング
- ミッドパシフィック・プロモーションズ
- ワールド・レスリング・カウンシル
- アトランティック・グランプリ・レスリング
脚注
外部リンク