1820年にアッパー・カナダ(現在のオンタリオ州)キングストンに移民し、その他大勢の人間たちとともに手頃な土地を探し、繁栄の約束をする[4]。1834年に弁護士として開業する。その後すぐ連合カナダ(Province of Canada)議会に議員として選出され、1847年には当時のドレイパー(William Henry Draper)政権で歳入役(receiver-General)に任命される。1854年自由保守党設立、新政権誕生に寄与し、司法長官(Attorney-General)に任命され、しばしば首相よりもリーダーシップを発揮することも多かった。その後の選挙でケベック州のエティエン・パスカル・タッシェと共に1856年から1857年の「連合カナダ共同首相」(Joint Premier of the Province of Canada)に選出された。タッシェはその後辞職し、ジョルジュ・エティエン・カルティエに引き継がれた。このマクドナルド=カルティエ政権は1858年の選挙で敗北し下野したが、当時のカナダ総督がカルティエを上級首相に任命したので、カルティエはマクドナルドともに共同上級首相となった。マクドナルドはカナダ内の植民地間の通信制度及び長距離鉄道の敷設に尽力した。この共同政権は1862年に再び選挙で敗北、下野し、マクドナルドは野党のリーダーとして務めた。
連邦の父として
この時期になるとマクドナルドは、この地域の将来に目を向けるようになる。イギリス最大の植民地の政治的なリーダーとして、その他の英領植民地との交流や連合などの力も発揮してくるようになっていた。南に国境を接するアメリカからの攻撃に備える意味もあり、西部の植民地と共に共存する政治的安定基盤を確保する必要があった。カナダ植民地の政治的不安定さを避けるため、1864年にマクドナルドの保守党とジョージ・ブラウン率いる(自由党の起源である)改革党がマクドナルドのもとに「大連合」した。マクドナルドは北米のイギリス植民地を「カナダ」に連合する働きかけを続け、1864年9月にプリンスエドワードアイランドのシャーロットタウンで東部のみで連立しようとしていた東部大西洋地域の植民地代表に提案(シャーロットタウン会議)。1864年10月にはケベック・シティにてカナダ連合への計画を採択(「ケベック会議」)。1866年までにはブランズウィック、ノバスコシアが連合に合意。ニューファンドランドとプリンスエドワードアイランドは反対したが、最終的に合意。これに基づきイギリス議会は英領北アメリカ法を制定し、連邦制をとるひとつの植民地「カナダ自治領(Dominion of Canada)」を形成することを決定した。この法律は「1867年カナダ憲法」として現在でも効力を持つ。
カナダ初代首相としてのマクドナルドは、連合による国土の拡大と安定が主眼であった。マクドナルド政権下で、カナダはルパート・ランドと北西地域(North-Western Territory)をハドソン湾会社から30万ポンドで譲渡を受け、この地域をノースウェスト準州とした。また1870年にマニトバ法を制定し、マニトバ州を施行した。マクドナルドは大陸横断鉄道の敷設を約束し、1871年にブリティッシュ・コロンビアも連邦に加えた。1873年にはプリンスエドワードアイランド州も連邦に加盟する。この年マクドナルドは広大な北西地域の治安を守るため、王立カナダ騎馬警察(RCMP)を設立した(当時は北西騎馬警察:North West Mounted Policeと呼ばれていた)。
1867年にアグネス・バーナード(英語版)(Agnes Bernard、1836年8月24日生 - 1920年9月5日没、トマス・バーナードの娘)と再婚して、1女をもうけた。彼女は1891年に夫の功績から連合王国貴族としてカナダ自治領及びオンタリオ州におけるアーンズクリフのマクドナルド女男爵(Baroness Macdonald of Earnscliffe, in the Province of Ontario and Dominion of Canada)に叙せられるも、爵位は彼女の死とともに廃絶した[6][7]。
^Pope, Sir Joseph (1930) Memoirs of The Right Honourable John Alexander Macdonald. Toronto: ON: The Musson Book Company Ltd., p.3. Pope relates that Hugh Macdonald recorded the time of Sir John's birth as 4:15, January 11, 1815.
^Waite, P.B. (1976) John A. Macdonald. Don Mills: ON: Fitzhenry and Whiteside Limited, p.7.
^Phenix, Patricia. (2007) Private Demons: The Tragic Personal Life of John A. Macdonald. Toronto: McClelland & Stewart Ltd. p.6.
^Swainson, Donald. (1989) Sir John A. Macdonald: The Man and the Politician. Kingston, ON: Quarry Press, p.17.