ザヒ・ハワス(アラビア語: زاهي حواس, ラテン文字転写: Zāhī Ḥawās, ラテン文字表記: Zahi Hawass、1947年5月28日 – )はエジプトの考古学者[1][2]。エジプト考古最高評議会 (CSA) 事務総長[3]。2011年に一時期、考古大臣をつとめた。
経歴
1947年にダミエッタ管区(現オベイディーヤ)にある小さな村で生まれる[1][2]。幼いころは法律家になるのが夢だった[2]。1967年にアレキサンドリア大学(英語版)でギリシア考古学とローマ考古学の分野で学士の学位を取得した[1][2]。進学して研究を続け、カイロ大学からエジプト学の分野で学位を取得した[1][2]。その後、ギザのピラミッド地帯で考古局の検査官[注釈 1]として勤務した[1][2]。
33歳の時にペンシルベニア大学に入学し博士号を取得した。1987年、エジプトのギザとサッカラの考古学総監督として勤め[4]、カイロのアメリカ大学(英語版)やカリフォルニア大学ロサンゼルス校、アレキサンドリア大学で教鞭をとった[5]。
ムバラク政権下
2002年、エジプト考古最高評議会事務総長[注釈 2]に就任[3]。エジプト人によるエジプト学の育成や、文化財保護・返還運動に積極的に取り組む。実質的にエジプト学を支配しており、権限を私物化しているなどといった批判が多かった[6]。
2011年革命以降
エジプト革命最中の2011年1月、新設された考古大臣の地位に着いたが、3月に辞職[3]。2011年4月17日、カイロ博物館のギフトショップの場所の利用について、特定の業者に便宜をはかった容疑で、裁判所により懲役1年の有罪判決が下されたが、控訴をし判決は解除された[7]。革命後のタンターウィー暫定政権下でも、5月から7月まで考古大臣に就いていたが辞職。
政策
欧米や日本のマスメディアの利用に積極的で、ヒストリーチャンネルなど世界的なネットワークを持つメディアの古代エジプト特集にも出演している[8]。強硬な出土国主義を取っており、合法・非合法を問わず流出した文化財に対し返還要求運動の活動を繰り返している。2022年には、18世紀末から20世紀初頭にかけての帝国主義時代に流出した3品に対し返還を求めている[9]。(エジプトがこれらに返還要求を出したのは初めてではない)
受賞・受勲
脚注
注釈
- ^ 発掘監督と考古学者、それぞれの仕事をミックスしたような職分[2]。
- ^ 在任中に日本メディアで古代エジプト関連の番組などに登場した際にはエジプト考古庁長官という和訳で紹介されていた。
出典
関連項目
外部リンク
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