紋章記述
サーソー子爵 (サーソーししゃく、英語: Viscount Thurso) は、イギリスの子爵、貴族。連合王国貴族。元自由党党首サー・アーチボルド・シンクレア(英語版)が1952年に叙されたことに始まる。
シンクレア家は前身として準男爵位を保持しており、本項ではその歴史についても触れる。
庶民院議員サー・ジョン・シンクレア(英語版)(1754-1835)は統計学・農学の専門家として知られ、『英国歳入史(History of the Public Revenue of Great Britain)』や『健康長寿事典(Code of Health and Longevety)』といった著書を記した人物である[1][2]。そのジョンが1786年に(ケイスネス州ウルブスターの)準男爵(Baronet, of Ulbster in the County of Caithness)を得ており[1][2]、彼が子爵家に連なる始祖となる。
2代準男爵ジョージ(1790–1868)は大陸を流浪したのち、父同様に文筆業を生業として紀行文・随筆を残している[3]。
3代準男爵ジョン(1824-1912)は庶民院議員[4]やケイスネス副統監[5]を務めている。ジョンの死去時、その息子クラレンス・シンクレアは父に先立って死去していたため、孫アーチボルドが準男爵位を継承した。
4代準男爵アーチボルド(1890-1970)は自由党党首や幹事長を歴任した政治家であった[6]。引退後の1952年にケイスネス州ウルブスターのサーソー子爵(Viscount Thurso, of Ulbster in the County of Caithness)に叙されて子爵家を興した[6][7][8]。以降は彼の直系男子による爵位継承が続いている。
その孫の3代子爵ジョン(1953-)は1999年の貴族院法施行に伴って強制的に議席を喪失したものの、2001年に庶民院議員に立候補して世襲貴族ながら当選を果たしている[8]。その後、2015年総選挙により失職したが、翌年に第4代エーヴベリー男爵エリック・ラボック(英語版)が死去したため、互選を経て再度貴族院議員となり現在に至る[9]。
一族の邸宅は、ケイスネス地方にあるサーソー城(英語版)、ハートフォードシャー州チャンプニズ(英語版)近郊のオーカード・コテージ。
紋章に刻まれるモットーは『善行は窮まるところを知らず(Ad Astra Virtus)』、『最善を愛す(J'Aime Le Meilleur)』[8]。
現当主である第3代サーソー子爵ジョン・アーチーボルド・シンクレア(英語版)は、以下の爵位を有している[8]。
爵位の法定推定相続人は、現当主の息子であるジェイムズ・アレクサンダー・ロビン・シンクレア閣下 (1984-)。