コバム子爵
紋章記述
Arms :Argent a Chevron between three Escallops Sable Crest :A Moor's Head in profile couped at the shoulders proper wreathed round the temples Argent and Sable Supporters :On either side a Merman proper each holding in the exterior hand a Trident Or
創設時期 1718年 5月23日 創設者 ジョージ1世 貴族 グレートブリテン貴族 初代 初代子爵リチャード・テンプル 現所有者 12代子爵クリストファー・リトルトン (英語版 ) 相続人 オリヴァー・リトルトン閣下 付随称号 コバム男爵 (英語版 ) ウェストコート男爵リトルトン男爵 (英語版 ) (フランクリーの)準男爵現況 存続 邸宅 ハグレイ・ホール (英語版 ) モットー Ung Dieu, Ung Roy (一人の神、一人の王)
コバム子爵 (英語 : Viscount Cobham )は、イギリス の子爵 位。グレートブリテン貴族 。
陸軍軍人第4代準男爵 リチャード・テンプル が1718年 に叙されたのに始まる。彼の妹ヘスター とクリスティアン への特別継承権が認められた爵位であり、はじめヘスターの子孫であるグレンヴィル家、ついでクリスティアンの子孫であるリトルトン家に継承されて現在に至っている。グレンヴィル家はバッキンガム=シャンドス公爵 などさらに上級の爵位に叙された。一方リトルトン家にとってはこの爵位が最上位爵位である。
歴史
初代コバム子爵リチャード・テンプル 陸軍元帥(ジャン=バティスト・ヴァン・ロー 画)
コバム子爵邸ハグレイ・ホール (英語版 )
ストーのテンプル準男爵 家の第4代当主リチャード・テンプル (1669–1749) は、陸軍軍人として初代マールバラ公 ジョン・チャーチル の指揮下でスペイン継承戦争 を戦い、四カ国同盟戦争 ではイギリス軍の指揮官を務めた。戦功により1718年 5月23日 にグレートブリテン貴族 爵位「初代コバム子爵 (Viscount Cobham) 」と「ケント州におけるコバムの初代コバム男爵 (英語版 ) (Baron Cobham, of Cobham in the County of Kent) 」に叙せられた。また彼には子供がないことが考慮され、この2つの爵位は妹のヘスター (1690頃-1752) (庶民院議員リチャード・グレンヴィル と結婚)とクリスティアン (?-1748) (第4代準男爵トマス・リトルトン と結婚)への特別継承権を認めていた[ 2] [ 3] 。
そのため、1749年 9月13日 に初代子爵が死去した際、ヘスターが第2代コバム女子爵位を継承した。さらに彼女は同年10月18日 にグレートブリテン貴族爵位「テンプル女伯爵 (Countess Temple)」に叙せられた[ 4] [ 5] 。
ヘスターの死後、彼女の長男であるリチャード・グレンヴィル (1711–1779) が第2代テンプル伯爵位と第3代コバム子爵位を継承した。彼は後にテンプル姓を加えて「グレンヴィル=テンプル」に改姓している。しかし彼には男子がなかった[ 5] 。
一方ヘスターの次男であるジョージ・グレンヴィル (1712-1770) はホイッグ党 の政治家として政界の中枢で活躍し、1763年 から1765年 にかけて首相 を務めている。彼は4人の男子に恵まれた。そのため1779年 9月12日 に2代テンプル伯が死去するとジョージの同名の長男であるジョージ・グレンヴィル (1753–1813) が第3代テンプル伯爵位と第4代コバム子爵位を継承した。彼はこの継承の際にテンプル姓や妻の実家の家名を加えて「ニュージェント=テンプル=グレンヴィル」に改姓している[ 5] [ 7] 。彼は小ピット 政権で閣僚職を歴任し、1784年 12月4日 に「バッキンガム侯爵 (Marquess of Buckingham) 」に叙せられ、また1788年10月13日には岳父(妻の父)ロバート・ニュージェント から特別継承権でアイルランド貴族 爵位の第2代ニュージェント伯爵 (英語版 ) 位を継承している[ 8] [ 9] 。ちなみに彼の弟である初代グレンヴィル男爵 ウィリアム・グレンヴィル も政界で活躍し、1806年 から1807年 にかけてフォックス と連携して総人材内閣 (英語版 ) を組閣して首相 を務めたことで知られる。
1813年 2月11日 に初代バッキンガム侯が死去し、その長男であるリチャード (1776–1839) が第2代バッキンガム侯爵位・第4代コバム子爵位を継承した。彼は1799年に妻の実家の家名(ブリッジス)と爵位名(シャンドス公爵)を加えて「テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル」と改姓し、さらに1822年 2月4日 には連合王国貴族 爵位「バッキンガム=シャンドス公爵 (Duke of Buckingham and Chandos) 」と「シャンドス侯爵 (Marquess of Chandos) 」と「ストーのテンプル伯爵 (Earl Temple of Stowe) 」に叙せられた[ 11] [ 12] 。
彼の孫である第3代バッキンガム=シャンドス公(7代コバム子爵)リチャード (1823–1889) が1889年 3月26日 に男子なく死去した際、バッキンガム=シャンドス公爵位、シャンドス侯爵位、バッキンガム侯爵位、テンプル伯爵位など多くの爵位が廃絶したが、コバム子爵位は初代子爵の妹クリスティアンの家系も継承可能だったため、クリスティアンの玄孫にあたる第5代リトルトン男爵 (英語版 ) チャールズ・リトルトン (英語版 ) (1842–1922) が、第8代コバム子爵位を継承した[ 3] [ 13] 。
リトルトン家はコバム子爵位を継承する前から「ウスター州におけるフランクリーのリトルトン男爵 (Baron Lyttelton, of Frankley in the County of Worcester)」(1794年 8月13日 創設グレートブリテン貴族)と「ロングフォード県におけるバリーモアのウェストコート男爵 (Baron Westcote, of Ballymore in the County of Longford)」(1776年 4月29日 創設のアイルランド貴族)、そしてイングランドの準男爵位を保持していた[ 14] 。
10代コバム子爵チャールズ・リトルトン (1909–1977) は1957年 から1962年 にかけてニュージーランド総督 を務めた[ 3] 。
2015年 現在の当主はその次男である12代コバム子爵クリストファー・リトルトン (英語版 ) (1947-) である[ 3] [ 15] 。
本邸はウェスト・ミッドランズ のハグレイ・ホール (英語版 ) [ 3] 。家訓は「一人の神、一人の王(Ung Dieu, Ung Roy)」[ 3]
現当主の保有爵位/準男爵位
現在の当主12代コバム子爵クリストファー・リトルトン (英語版 ) は以下の爵位・準男爵位を所持している[ 3] [ 15] 。
第12代コバム子爵 (12th Viscount Cobham)
(1718年 5月23日 の勅許状 によるグレートブリテン貴族 爵位)
ケント州におけるコバムの第12代コバム男爵 (英語版 ) (12th Baron Cobham, of Cobham in the County of Kent)
(1718年5月23日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
ロングフォード県におけるバリーモアの第9代ウェストコート男爵 (9th Baron Westcote, of Ballymore in the County of Longford)
(1776年 4月29日 の勅許状によるアイルランド貴族 爵位)
ウスター州におけるフランクリーの第9代リトルトン男爵 (英語版 ) (9th Baron Lyttelton, of Frankley in the County of Worcester)
(1794年 8月13日 の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
第15代リトルトン準男爵 (15th Baronet Lyttelton)
(1618年 7月25日 の勅許状によるイングランド準男爵位)
一覧
(ストーのテンプル)準男爵 (1611年)
コバム子爵 (1718年)
テンプル伯 (1751年)
バッキンガム侯 (1784年)
バッキンガム=シャンドス公 (1822年)
コバム子爵 (1718年)
系図
脚注
出典
^ Lundy, Darryl. “Lt.-Gen. Richard Temple, 1st Viscount Cobham ” (英語). thepeerage.com . 2015年12月20日 閲覧。
^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “Cobham, Viscount (GB, 1718) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2015年12月17日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Hester Temple, Countess Temple ” (英語). thepeerage.com . 2015年12月21日 閲覧。
^ a b c Heraldic Media Limited. “Temple, Earl (GB, 1749 - 1889) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2015年12月21日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “George Nugent-Temple-Grenville, 1st Marquess of Buckingham ” (英語). thepeerage.com . 2015年12月21日 閲覧。
^ Heraldic Media Limited. “Buckingham, Marquess of (GB, 1784 - 1889) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2015年12月21日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Robert Nugent, 1st Earl Nugent ” (英語). thepeerage.com . 2015年12月21日 閲覧。
^ Heraldic Media Limited. “Buckingham and Chandos, Duke of (UK, 1822 - 1889) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2015年12月21日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Richard Temple-Nugent-Brydges-Chandos-Grenville, 1st Duke of Buckingham and Chandos ” (英語). thepeerage.com . 2015年12月21日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Charles George Lyttelton, 8th Viscount Cobham ” (英語). thepeerage.com . 2015年12月21日 閲覧。
^ Heraldic Media Limited. “Lyttelton, Baron (GB, 1794) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2015年12月21日 閲覧。
^ a b Lundy, Darryl. “Christopher Charles Lyttelton, 12th Viscount Cobham ” (英語). thepeerage.com . 2015年12月21日 閲覧。
参考文献
関連項目
外部リンク