グロースエアラハ またはグロースエルラハ (ドイツ語 : Großerlach 、グロースエアラッハ 、グロースエルラッハ とも) はドイツ連邦共和国 バーデン=ヴュルテンベルク州 レムス=ムル郡 に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。人口約2,600人、人口密度は100人/km2 以下で、シュトゥットガルト地方 (ドイツ語版 、英語版 ) で最も人口密度の低い町の1つである。
地理
位置
グロースエアラハの町域は、北をロート川、南をムル川 に挟まれた高台であるマインハルトの森に位置している。高台に位置しているため、シュヴァーベン=フランケンの森ならびにレムス=ムル郡の最高地点はこの町にある。隣接する市町村は、北東にヴュステンロート (ハイルブロン郡 )、北にマインハルト 、東にオーバーロート (ともにシュヴェービッシュ・ハル郡 )、南にムルハルト およびズルツバッハ・アン・デア・ムル 、西にシュピーゲルベルク が位置している。
自治体の構成
グロースエアラハは、旧グロースエアラハと旧グラープの2つの地区からなり、合わせて25の村落、小集落、農場、入植地が属している[ 2] [ 3] 。
旧グラープ町は、バーデン=ヴュルテンベルク州の自治体法に基づき、独自の地区議会を有している[ 4] 。
土地利用
土地用途別面積
面積 (km2 )
占有率
住宅地
0.67
2.5 %
産業用地
0.13
0.5 %
レジャー用地
0.09
0.3 %
交通用地
1.22
4.5 %
農業用地
9.64
35.5 %
森林
14.82
54.6 %
水域
0.12
0.4 %
その他の用地
0.46
1.7 %
合計
27.15
出典: Statistisches Landesamt Baden-Württemberg[ 5]
歴史
16世紀に描かれたベーリングスヴァイラー城の絵地図
小集落ベーリングヴァイラーは1251年 に初めて文献に記録されている。トロイツェンバッハ集落は1300年 に初めて記録されている。エアラハの2つの農場が、1つはリューディガー・フォン・オールンに、もう1つはブルクハルトとフリードリヒのシュトゥルンフェーダー兄弟に属していたことが1364年 と1370年 に記録されている。1500年 頃、最初の荘園 (アムト・ズルツバッハ)がレーヴェンシュタイン伯の所有となり、シェンク・フォン・リンプルグが第2の荘園の所有者となった。グロースエアラハ村についての最初の記述は、1441年 1月2日にレーヴェンシュタイン伯からプファルツ選帝侯ルートヴィヒ4世 に売却された際のものである。1750年 には、Gross-Oehrlach 、Ober-Oehrlach と Klein-Oehrlach 、Unter-Oehrlach およびガラス工場が記録されている。土地所有者はレーヴェンシュタイン伯1人であった。シェンク・フォン・リンプルグ領もレーヴェンシュタイン伯領も1500年から1806年 までフランケン帝国クライス に属した。
1911年 に上水道と電話網が整備され、1927年 に電気の供給がなされるようになった。第二次世界大戦 の終わり頃、1945年 4月16日にドイツ国防軍 がマインハルトへ通じる橋を爆破した。その2日後の4月18日にアメリが軍兵士が戦車 でこの町を占領した[ 6] 。
ガラス工場
ノイラウテルンのガラス職人の息子ハンス・グライナーが1568年 にミッテルフィッシュバッハに最初のヴァルトグラスヒュッテ (ドイツ語版 、英語版 ) (緑がかったガラスの工場)を開設した。この工場は1702年 まで操業していた。1605年 にアルトフュルステンヒュッテ、1695年 にノイフュルステンヒュッテでガラス製造が行われたが、1771年に閉鎖された[ 7] 。
1737年 に最後のガラス工場が現在のエルラッハー・ヘーエ地区に開設された。スイス から来たイスラエル・エクスレがガラス職人の責任者とされた。彼はそれまでの緑がかったガラスを高品質の透明ガラスに改良するのに必要な知識を有していた。彼の息子のフェルディナント・エクスレ はその後エクスレ・ヴァーゲ(エクスレの果汁秤)を発明した。エアラハでは主にフラスコ や蒸留器などの薬局用機材が製造された。1891年 にはディアコニシェス・ヴェルク(社会奉仕団体)がエアラハのガラス工場を獲得し、エアラハ労働者集落(現在のエアラッハー・ヘーエ)を建設した[ 8] 。ここは現在、郡内で最初の、さらにはディアコニーのドイツで最初のバイオエネルギー村 になっている。
シルバーラッシュ
1772年 12月に3人の農夫が泉の溝の近くで銀鉱石 を見つけた。これを承けてレーヴェンシュタインの鉱山官リーデルはリーマースバッハに銀鉱山と精錬所 を開設した。しかしわずか数年後には赤字のために閉鎖せざるを得なくなった。
グロースエアラハは1806年にレーヴェンシュタインとともにヴュルテンベルクの一部となった。
1834年から1847年に現在も遺るガストハウス・クレーネが、シュトゥットガルト - シュヴェービッシュ・ハル 間の宿駅として建設された。
幽霊屋敷
1916年に未亡人クラインクネヒトの農家が連邦中の注目を集めた。4月30日から5月15日までこの館の中の何者かがその住民をおびえさせ、助けるために集った近隣住民によってもなだめることができなかった。この館は住民によって放棄され、閉鎖された。村長、教師、アムトの役人、県の役人がその証人となった。
市町村合併
1848年 5月13日にグロースエアラハは独立した自治体となった。これに編入された集落グロースエアラハ、クラインエアラハ、エルラッハー・グラスヒュッテ、リーマースバッハはそれまでズルツバッハに、ウンターフィッシュバッハ、ミッテルフィッシュバッハ、オーバーフィッシュバッハはライヒェンベルク(現在はオッペンヴァイラーの一部)に属していた。
グロースエアラハはオーバーアムト・バックナング(後のバックナング郡)に属した。
1821年から独立した町村であったノイフュルステンヒュッテが、1939年 10月1日にグロースエアラハに編入された。これには、クラインエアラハの北部、アルトフュスルテンヒュッテ、ベーリングスヴァイラー、ハルス、クーンヴァイラー・フォン・ヴュステンロート、ヴィートホーフ・フォン・マインハルトも含まれた。
ブッツベルク、フランケンヴァイラー、ホーエンブラッハ、マネンヴァイラー、モールバッハ、モールバッハ=プラッテ、シェーンブロン、シェーンタールヘフレ、シェーンタールゼーグミューレ、シュヴァイツァーホーフ、トラウツェンバッハを含む独立した町村グラープが、1974年 7月1日に市町村再編に伴ってグロースエアラハと合併し、新たな町グロースエアラハとなった[ 9] 。
住民
人口推移
以下の表は、各時点における市域内の人口を示している。数値は、推測値、人口調査結果 (1 ) またはバーデン=ヴュルテンベルク州統計局の公的な研究結果である。
年
人口(人)
1824
1,147
1835
1,147
1871年12月1日 1
2,163
1880年12月1日 1
2,194
1890年12月1日 1
2,042
1900年12月1日 1
1,825
1910年12月1日 1
1,753
1925年6月16日 1
1,571
1933年6月16日 1
1,501
1939年5月17日 1
1,395
1950年9月13日 1
1,854
年
人口(人)
1961年6月6日 1
1,716
1970年5月27日 1
1,910
1980年12月31日
2,383
1987年5月25日 1
2,183
1990年12月31日
2,488
1995年12月31日
2,523
2000年12月31日
2,630
2005年12月31日
2,624
2010年12月31日
2,488
2015年12月31日
2,514
行政
議会
グロースエアラハの町議会は10議席からなる[ 10] 。
文化と見所
復元されたリーメス
グラープ地区のハイデンブッケルには、オーバーゲルマニシュ=レティシャー・リーメス の2番目に高い地点がある。リーメスは、2世紀 のローマ帝国 の国境であり、見張り塔、防御柵、土塁と堀が復元されている。ローマ時代 の見張り塔の復元には、トラヤヌスの記念柱 に刻まれたレリーフ がモデルとして用いられた。塔は、バーデン=ヴュルテンベルク州で最初の復元石造リーメス監視塔として、1982年に建設された。2004年にはリーメスを守るための林道が復元された[ 11] 。
1773年に開削された銀鉱山ゴッテス坑は、グロースエアラハのシルバーラッシュが終焉した後、長らく埋められていた。1926年に再び坑口が開けられ、一般公開され始めた。第二次世界大戦中は防空壕 として利用された。その後は忘れ去られたが、1993年にグロースエアラハ/グラープ郷土協会が再び掘り起こし、修復を行った。2000年5月から長さ 30 m の区間が再び一般公開された[ 12] 。
グロースエアラハとエルラッハー・ヘーエとの間の高台からは、シュヴァーベン=フランケンの森を遠望することができる。
経済と社会資本
グロースエアラハ通信塔
交通
連邦道 B14号線 (ドイツ語版 、英語版 ) が、最寄りの中規模中心都市バックナング (18 km) およびシュヴェービッシュ・ハル (20 km) を結んでいる。
地元企業
1953年からアレクサンダー=シュティフトはノイフュルステンヒュッテに本部を置いている。
通信
ホーエ・ブラッハには、1985年に建造された高さ 133 m のドイツ・テレコム のグロースエアラハ通信塔がある。この塔はレムス=ムル郡で最も高い建造物である。
参考文献
300 Jahre Neufürstenhütte. Heimatgeschichtliche Nachrichten . Großerlach: Heimatverein Großerlach/Grab e. V.. (1995)
Jutta Puff (2005). Analyse und Verbesserung der ÖPNV-Erschließung der ländlichen Flächengemeinde Großerlach . Stuttgart: Universitätsbibliothek der Universität Stuttgart
出典
^ Statistisches Landesamt Baden-Württemberg – Bevölkerung nach Nationalität und Geschlecht am 31. Dezember 2022 (CSV-Datei)
^ “Gemeinde & Wirtschaft | Teilorte ”. Gemeinde Großerlach. 2018年11月9日 閲覧。
^ Das Land Baden-Württemberg. Amtliche Beschreibung nach Kreisen und Gemeinden. Band III: Regierungsbezirk Stuttgart, Regionalverband Mittlerer Neckar . Stuttgart: Kohlhammer. (1978). pp. 554-556. ISBN 978-3-17-004758-7
^ “HAUPTSATZUNG vom 25. November 2004 ” (PDF). Gemeinde Großerlach. 2018年11月9日 閲覧。
^ “Fläche seit 1996 nach tatsächlicher Nutzung - Statistisches Landesamt Baden-Württemberg / Großerlach (Rems-Murr-Kreis) ”. 2018年11月7日 閲覧。
^ “Gemeinde & Wirtschaft | Geschichte | Kurzchronik ”. Gemeinde Großerlach. 2018年11月10日 閲覧。
^ “Gemeinde & Wirtschaft | Geschichte | Glashütten ”. Gemeinde Großerlach. 2018年11月10日 閲覧。
^ Großerlacher Glashütten . Heimatverein Großerlach/Grab e. V.. (1998). p. 4
^ Statistisches Bundesamt, ed (1983). Historisches Gemeindeverzeichnis für die Bundesrepublik Deutschland. Namens-, Grenz- und Schlüsselnummernänderungen bei Gemeinden, Kreisen und Regierungsbezirken vom 27.5.1970 bis 31.12.1982 . Stuttgart/Mainz: W. Kohlhammer. p. 463. ISBN 978-3-17-003263-7
^ “Gemeinderatswahlen 2014 - Statistisches Landesamt Baden-Württemberg - Großerlach (Rems-Murr-Kreis) ”. 2018年11月10日 閲覧。
^ “Freizeit & Kultur | UNESCO-Welterbe Limes | Limesrekonstruktion ”. Gemeinde Großerlach. 2018年11月10日 閲覧。
^ “Freizeit & Kultur | Großerlacher Vielfalt | Silberstollen ”. Gemeinde Großerlach. 2018年11月10日 閲覧。
外部リンク