グラフトン公 (グラフトンこう、Duke of Grafton )は、イギリス の公爵 位。イングランド貴族 。
イングランド 王チャールズ2世 の私生児ヘンリー・フィッツロイ が1675年 にイングランド貴族 として叙されたのに始まる。
歴史
初代グラフトン公ヘンリー・フィッツロイ
初代グラフトン公爵に叙されるヘンリー・フィッツロイ (1663-1690) は、チャールズ2世 とその愛人バーバラ・ヴィリアーズ(後の初代クリーヴランド女公爵 バーバラ・パーマー 。第2代グラディソン子爵 (英語版 ) ウィリアム・ヴィリアーズ の娘)の間の3人の非嫡出男子のうちの次男である。非嫡出子なので王位継承権はなかったが、母バーバラは息子3人に高位の爵位を確保しようと宮廷工作に躍起になった。
その結果、ヘンリーには1672年 8月16日 にサフォーク州におけるユーストン伯爵 (Earl of Euston, in the County of Suffolk) とサフォーク州におけるイプスウィッチ子爵 (Viscount Ipswich, in the County of Suffolk) とサフォーク州におけるサドバリーのサドバリー男爵 (Baron Sudbury of Sudbury, in the County of Suffolk) 、ついで1675年 9月11日 にグラフトン公爵 の爵位が与えられた。これがグラフトン公爵家の創始となる[ 2]
ヘンリーの兄チャールズ・フィッツロイ はサウサンプトン公爵 (またバーバラから第2代クリーヴランド公爵位を継承)、弟ジョージ・フィッツロイ はノーサンバーランド公爵 位を与えられている。しかしこの2人の家系は嗣子に恵まれず廃絶しており、現代まで残ったのはグラフトン公爵家だけであった。
初代公ヘンリーは、初代アーリントン伯爵ヘンリー・ベネット の1人娘(女子相続人)イザベラ と結婚した。アーリントン伯位は特別継承権の規定で男子なき場合に姉妹間の優劣のない女系継承が可能であったため、ベネットの死後イザベラが継承した。初代公とイザベラは一人息子のチャールズ (1683-1757) を儲け、このチャールズは1690年 に初代公がアイルランドで戦死した際に2代グラフトン公となり、ついで1723年 のイザベラの死によりアーリントン伯爵 (Earl of Arlington) 、セットフォード子爵 (Viscount Thetford) 、アーリントン男爵 (Baron Arlington) の3爵位も継承した[ 2]
2代公の死後、次男の息子オーガスタス (1735-1811) が3代公を継承した。彼は1768年 から1770年 にかけて首相 を務めたことで知られる。
その後は目立った当主は出ていないが、9代公ジョン (1914-1936) は、レース事故で死亡するという劇的な最期を遂げている。彼の死去に際して女系継承が可能なアーリントン伯、セットフォード伯、アーリントン男爵の3爵位は彼の姉2人の間で優劣を決められず停止 (abeyance) となっている[ 2] 。
10代公チャールズ (英語版 ) (1892-1970) の代は貴族没落の時代であり、グラフトン公爵家も税金・相続税攻勢で所有地を多く失った。サフォーク にある本邸ユーストン・ホール (英語版 ) の維持費も捻出できなくなり、維持費削減のため3分の2を取り壊している。
11代公ヒュー (英語版 ) (1919-2011) の夫人フォーチュン (英語版 ) は、1967年 以降エリザベス2世 の衣装係女官 (英語版 ) (女王の女官の最高位)を務めている。
現在の当主は先代の孫の12代グラフトン公爵ヘンリー・フィッツロイ (英語版 ) (1978- ) である[ 2] 。
現当主の保有爵位
現当主12代グラフトン公ヘンリー・フィッツロイ (英語版 ) は以下の爵位を保有している[ 2] 。
第12代グラフトン公爵 (12th Duke of Grafton)
(1675年 9月11日 の勅許状によるイングランド貴族 爵位)
第12代ユーストン伯爵 (12th Earl of Euston)
(1672年 8月16日 の勅許状によるイングランド貴族爵位)※法定推定相続人 の儀礼称号
第12代イプスウィッチ子爵 (12th Viscount Ipswich)
(1672年8月16日の勅許状によるイングランド貴族爵位)※法定推定相続人の法定推定相続人の儀礼称号
第12代サドバリー男爵 (12th Baron Sudbury)
(1672年8月16日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
グラフトン公 (1675年)
家系図
脚注
注釈
出典
参考文献
関連項目
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