グスタフ・イェナー
グスタフ・(ウーヴェ・)イェナー (Gustav Uwe Jenner , 1865年 12月3日 北海 のズュルト島 カイトゥム出身 - 1920年 8月29日 マールブルク にて没)は、ドイツ の作曲家 ・指揮者 ・音楽教師。ブラームス に公式に師事した唯一の弟子として名を残している。イェナーの父親はスコットランド 出身の医師 で、種痘 の発見者エドワード・ジェンナー (姓の綴りがJenner)や、エディンバラ のプリンス・ストリートにあるアールヌーヴォー 様式のデパート の創業者と縁続きであると言い張っていた。
生涯
キール に在学中に独学で音楽の学習と作曲を始めるが、1884年 に父親が女性患者を手篭めにしたと疑われたことを苦に自殺 する。その後に詩人 クラウス・グロート (英語版 ) の面識を得て、その計らいによってハンブルク でブラームスの旧師エドゥアルト・マルクセン に師事することができた。今度はマルクセンがイェナーをブラームスに引き合わせ、1888年 2月から1895年 までウィーン国立音楽院 でブラームスと、その個人秘書で音楽学者のオイゼビウス・マンディチェフスキ の指導を受ける。ブラームスはイェナーの習作に対して容赦ない批判を浴びせたものの、イェナーの懐具合をたいへん心配し、ウィーン楽友協会 の秘書に任命したり、1895年 にはマールブルク大学 の音楽監督兼指揮者に就任できるように掛け合ってくれた。イェナーはその後も、ブレスラウ やベルリン などからもっと名誉のある地位が提供されたものの、それらを断ってマールブルク大学に留任し続けた。
イェナーは作曲家として室内楽 に専念し、3つの弦楽四重奏曲 やピアノ四重奏曲 、クラリネットとホルン、ピアノのための三重奏曲 、3つのヴァイオリン・ソナタ やクラリネット・ソナタなどを遺した。このほかに合唱曲や声楽曲もある。きわめて保守的な作曲家であり、ブラームスの強烈な刻印をとどめているものの、独自の表現も認められ、つねに巧みに労作されている。
1905年 にブラームスに関する2巻の回想記『ブラームス、人として教師として芸術家として Brahms als Mensch, Lehrer und Künstler 』を上梓。独自な視点からブラームス像を描き出しており、貴重な資料となっている。その抜粋は、音楽学者ウォルター・フリッシュ編集の『ブラームスの世界 Brahms and His World 』(1990年 プリンストン 、ISBN 0691027137 )において読むことができる。
注釈・出典