クリスティアン・ダビド・パボン (Cristian David Pavón、1996年 1月21日 - )は、アルゼンチン ・コルドバ 出身のサッカー選手 。元アルゼンチン代表 。グレミオFBPA 所属。ポジションはFW 。
クラブ経歴
キャリア初期
1996年1月21日、アルゼンチン のコルドバ 郊外の町アニサケーテ (スペイン語版 ) で4人兄弟の末っ子(その後妹も生まれた)として生まれた。兄たちが何かしらのレベルでサッカーをプレーしている影響もあり、サッカーを始めた。幼い頃に父親が失業したことでサッカーを諦めざるを得なかった際には隣町に住む親戚がサッカーを続けるための手伝いを申し出てくれた。やがて、クリスティアンと兄の1人ロドリゴはそれぞれのクラブでトップチーム入りを果たし、対戦した際にはロドリゴがPKを決めたが、クリスティアンは自ら2ゴールを決めて3-1の勝利を収めた。その後、当時2部リーグ に在籍中だったタジェレス・デ・コルドバ でブレイクし、そのシーズンは22チーム中20位と振るわなかったが、パボン個人の活躍はブエノスアイレス の強豪ボカ・ジュニアーズ の目に留まった[ 2] 。
ボカ・ジュニアーズ
2014年7月9日、移籍金130万ユーロでボカ・ジュニアーズ に移籍[ 3] 。
1年目は2部リーグのCAコロン に期限付き移籍した。10月5日、インスティトゥート・デ・コルドバ とのアウェイ戦でエリア外から2つのゴールを決めた[ 4] 。リーグ最終節でコロンは1部昇格を果たした[ 5] 。
ボカに復帰すると、2016-17シーズン はリーグ戦30試合に出場して9ゴール9アシストを記録してリーグ優勝に貢献した[ 6] 。両WGでプレーでき、並外れたスピードとパスセンスの高さからアルゼンチンで最も有望な選手として期待された[ 3] 。
2017-18シーズン は全コンペティションで36試合に出場して7ゴール20アシストを記録し、ボカのリーグ2連覇に貢献[ 2] 。個人としてもシーズン最優秀選手に選ばれた[ 7] 。
2018年1月にはプレミアリーグ のアーセナル への移籍が噂されたが実現することはなく、その後もチェルシー やマンチェスター・シティ 、リーグ・アン のパリ・サンジェルマン 、ASモナコ 、リオネル・メッシ がバルセロナ 上層部に獲得を求めるなどヨーロッパの複数のクラブとの噂が出たがいずれも実現することはなくボカに留まることになった[ 3] 。
7月、ヨーロッパからパボンにオファーが殺到している状況に乗じて、当時のボカの会長はより多くの移籍金を得るために新たに4年の契約延長を提示し、違約金を5,000万€に設定した[ 8] 。しかし、2017-18シーズンの好調な成績とは打って変わって2018-19シーズン は度々負傷を繰り返すようになった[ 2] 。
負傷の影響で思うようなキャリアが築けずにいたパボンは2019年8月8日、2017-18シーズンにボカを指揮したギジェルモ・バロス・スケロット 監督が率いるロサンゼルス・ギャラクシー に買い取りオプション付きの期限付き移籍 をした[ 2] 。8月25日、ロサンゼルスFC との試合で移籍後初ゴールを決めた[ 9] 。
かつての恩師とタジェレスでのアカデミーで共に過ごしたファビオ・アルバレス (英語版 ) に再会すると[ 10] 、ズラタン・イブラヒモビッチ らとも共闘し35試合出場14ゴールを記録した[ 11] 。
翌年にボカに戻ったが怪我の影響もあって出場機会は限られ、ボカのミゲル・アンヘル・ルッソ 監督にクラブを離れたいことを伝えた[ 12] 。同時期にLAギャラクシーも再獲得のオファーをしたが、ボカは移籍金に2,000万$近くを要求し、コロナウイルスのパンデミック によって経済的に大きな打撃を受けていたLAギャラクシーはその移籍金を支払うことができず再獲得を断念した[ 13] 。
2021年7月13日、ラ・ボンボネーラ で行われたコパ・リベルタドーレス2021 決勝トーナメント1回戦1stレグアトレチコ・ミネイロ 戦(0-0)に先発出場。前半半ばにプルボ・ゴンザレス (英語版 ) がヘディングでネットを揺らすも、直前にボカのFWノルベルト・ブリアスコ (英語版 ) がアトレチコのDFナタン・シウバ (英語版 ) を後ろから押したとして、VAR でチェックした上で取り消された。試合後、このシーンは誤審と認められて主審らにも処分が下されたが、試合の結果は変わらなかった[ 14] 。
20日、2ndレグで対戦するとパボンは1stレグ同様に先発で出場。スコアレスで迎えた後半にボカのマルセロ・ウェイガン (英語版 ) がゴールネットを揺らしたが、VARの結果、別の選手の右肘ないし右ひざがわずがに出ていたとしてオフサイド と判定され再び得点を取り消された。そのまま得点は生まれずPK戦に突入するも3人が失敗して1-3で敗れた[ 15] 。
試合後、VARによって2試合連続で不当にゴールが取り消されたことと勝利したアトレチコのスタッフからの執拗な挑発に憤慨したボカの選手たちは、審判団やアトレチコのロッカルームに押しせて三者入り乱れる形で暴動に発展。警察も出動しボカ側は8人(選手5人とスタッフ3人)の身柄が一時的に拘束された[ 16] 。
しばらくしてからCONMEBOL は一連の暴動についての処分を発表し、パボンには3万$の罰金とCONMEBOLが主催する大会で6試合の出場停止処分が科された[ 17] [ 18] 。
2021年12月12日、CAセントラル・コルドバ (英語版 ) 戦では2ゴール2アシストの活躍でチームは大勝(8-1)を収めた[ 19] 。
大勝から数日後にボカから契約延長を打診されるも、クラブから退団する意向を表明していたパボンはこれを拒否。そのため2022年のリベルタドーレス のメンバーリストに登録されず、その他のコンペティションでもベンチ入りすら許されずクラブとの関係性は破綻した[ 20] 。
アトレチコ・ミネイロ
2022年7月3日、アトレチコ・ミネイロ に3年契約で移籍した[ 6] 。8月8日、アトレチコ・パラナエンセ 戦で移籍後初ゴールを決めた[ 19] 。
2023年1月、コパ・リベルタドーレス2023 に際して、CONMEBOLは2021年の暴動についての出場停止処分は未だ有効であるとの見方をしていたが、アトレチコ側は結果的にはメンバー外であったもののメンバー登録可能な状態ではあったため6試合の出場停止処分はボカ在籍中に既に精算されていると主張。スイスのスポーツ仲裁裁判所 で争ったが裁判所はアトレチコ側の主張を退けて6試合の出場停止を命じた[ 21] 。
5月4日、6試合の出場停止を明けたパボンはアリアンサ・リマ 戦で先発出場した。およそ2年ぶりとなるリベルタ杯だったが、パボンはイゴール・ゴメス の先制点をアシストした[ 22] 。1週間後、移籍後初めてフル出場したカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA ・クイアバ 戦で1ゴール2アシストの活躍をした[ 23] 。
ベロオリゾンテ のクラブでは出場した試合のうち半分近くが途中からの出場であり、パボンは十分な居場所を作れずにいた。すると、プロデビューを果たしたタジェレスのサポーターらはSNSで「#Pavón a Talleres(訳: パボンをタジェレスに!)」をつけて投稿しパボンの復帰を強く求めた。しかし、クラブ関係者同士で話し合った際にアトレチコはタジェレスに1,000万$近くの法外な移籍金を要求したためタジェレスが支払うことは経済的に難しく、復帰は叶わなかった[ 24] 。
グレミオ
2024年2月16日、グレミオFBPA に2026年12月までの契約で移籍した[ 25] 。
加入翌日、カンピオナート・ガウショ のサンタクルス 戦で2-2で迎えた後半から出場するとデビュー戦でゴールを挙げた[ 26] 。
代表経歴
ロシアW杯 ・フランス 戦でのパボン(2018年)
U-17チーム ではUAE で開催された2013年のU-17ワールドカップ に出場して4位になるも、2015年のU-20ワールドカップ では1試合も白星を挙げられず(2分1敗)グループリーグ敗退となった[ 27] 。
2016年にはU-23アルゼンチン代表 の一員としてリオデジャネイロ五輪 に参加した。
2017年11月11日、ロシア とのフレンドリーマッチでエドゥアルド・サルビオ との交代でA代表 初出場するとセルヒオ・アグエロ のゴールの起点となるパスをした[ 28] 。さらに、14日のナイジェリア 戦では先発出場してアシストを記録した[ 3] 。
2018年5月、2018 FIFAワールドカップ に参加する代表メンバー23人の一人に選ばれ[ 29] [ 30] 、全4試合に出場した[ 6] 。
個人成績
クラブでの成績
2024年2月17日現在 [ 31]
代表での成績
出場大会
U-17アルゼンチン代表
U-20アルゼンチン代表
U-23アルゼンチン代表
アルゼンチンA代表
試合数
国際Aマッチ 11試合 0得点(2017年 - 2018年)
タイトル
ボカ・ジュニアーズ
アトレチコ・ミネイロ
個人
レキップ 選出21歳以下のサッカー選手ベスト50: 2017年
スーペルリーガ年間最優秀選手: 2017-18
スーペルリーガアシスト王: 2017-18
脚注
外部リンク