キース・ジャクソン (アメリカンフットボール)

キース・ジャクソン
Keith Jackson
基本情報
ポジション タイトエンド
生年月日 (1965-04-19) 1965年4月19日(59歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
アーカンソー州リトルロック
身長: 6' 2" =約188cm
体重: 258 lb =約117kg
経歴
大学 オクラホマ大学
NFLドラフト 1988年 / 1巡目全体13位
初出場年 1988年
初出場チーム フィラデルフィア・イーグルス
所属歴
1988-1991 フィラデルフィア・イーグルス
1992-1994 マイアミ・ドルフィンズ
1995-1996 グリーンベイ・パッカーズ
受賞歴・記録
スーパーボウル制覇(1回)
第31回
オールプロ選出(計4回)
1st(3回)

1988、1989、1990

2nd(1回)
1992
プロボウル選出(6回)
1988、1989、1990、1992、1994、1996
NFL 通算成績
パスキャッチ 441回
レシーブ獲得ヤード 5,283ヤード
TDレシーブ 49回
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

キース・ジャクソン(Keith Jackson 1965年4月19日- )は、アーカンソー州リトルロック出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはタイトエンドNFLの3チームで1988年から1996年までプレー、プロボウルに6回選ばれている。1980年代終わりから1990年代初めにかけての最も優れたレシービングタイトエンドの1人[1]

経歴

プロ入りまで

高校時代は、アーカンソー州のオールチームにタイトエンドとセイフティで選ばれた。1983年にはパレード誌が選ぶオールアメリカンとなっている。2011年にパレード誌より、高校生のオールタイムでのオールアメリカンに選ばれた[2]

オクラホマ大学で1984年から1987年までプレーした。大学時代のニックネームは、「Boomer Sooner」(Sooners が大学のチーム名)。彼の在籍中チームは、42勝5敗1分で、1985年には全米チャンピオンになった[3]。1986年のペンシルベニア州立大学とのオレンジボウルでは、71ヤードのTDレシーブを含む2TDをあげて勝利に貢献した[4]。2001年にカレッジフットボールの殿堂入りを果たした。

プロ入り後

1988年のドラフト1巡でフィラデルフィア・イーグルスに指名されて入団、1年目から81回のレシーブで869ヤードを獲得、6TDをあげた。プレーオフでも7回のレシーブで142ヤードを獲得した。この年のNFCルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。また新人としてはその年ただ一人、プロボウルに選ばれた[5]。彼が作ったイーグルスの新人レシーブ記録は、2008年に、デショーン・ジャクソンに破られた[1]

イーグルスでは1991年までの4シーズンで242回のレシーブ、2,756ヤードを獲得、20TDをあげた。イーグルス時代は、QBランドール・カニンガムDEレジー・ホワイトと強い絆を築いた[4]

1992年、ホールドアウトを行い、フリーエージェントとなっていた彼は、9月28日にマイアミ・ドルフィンズと4年590万ドルの契約を結んだ。前年のイーグルスとの契約は30万ドルであった[6]。なお、イーグルスからは3年400万ドルの提示がされており、NFL関係者の間では、彼はイーグルスに残留すると考えられていた。デンバー・ブロンコスのオーナー、パット・ボーレンはレシービングタイトエンドには、年150万ドルの価値がないと発言しており、ワシントン・レッドスキンズのヘッドコーチ、ジョー・ギブスも同様の見解を示しており、プロボウルに2度選ばれている優れたタイトエンド、フェレル・エドマンズのいるドルフィンズが巨額契約を結んだことは、衝撃を与えた[7]

1994年までの7シーズンで彼は388レシーブで、4,636ヤードを獲得、38TDをあげたが、この数字は同期間中のNFLトップの数字であった。またこの時点でのタイトエンドとしては、ミネソタ・バイキングススティーブ・ジョーダンの498レシーブに次ぐ現役2位の388レシーブをあげていた[8]。ドルフィンズでは3シーズンで146回のレシーブ、1,828ヤード、18TDをあげた[4]

1995年3月、ドルフィンズからその年のドラフト2巡指名権とのトレードでグリーンベイ・パッカーズに移籍した。ドルフィンズはこの年、2回プロボウルに選ばれたエリック・グリーンと契約を結んでいた[8]。彼は当初寒冷地であるグリーンベイでのプレーを望んでいなかったが、親友であり元チームメートのレジー・ホワイトからの誘いによってパッカーズでプレーした[9]

NFLで9シーズンプレーした間、6回プロボウルに選ばれた(1988年-1990年、1992年、1994年、1996年)。

キャリア最終年の1996年は、40回のレシーブで505ヤード、自己最多の10TDをあげた。この年、グリーンベイ・パッカーズはレギュラーシーズンを13勝3敗で終え、第31回スーパーボウルを制し、彼はスーパーボウルリングを獲得した[4]

1997年3月、現役引退を表明した[10]

現役引退後

現役引退後は、1999年はFOXスポーツで、2000年から2017年までアーカンソー・レイザーバックスの試合の解説者を務めた[5]。彼の長男のキース英語版は、ディフェンシブラインマンとしてアーカンソー大学でプレーし、2007年のNFLドラフトの7巡でセントルイス・ラムズに指名された[11]

人物

ABCのスポーツキャスターのキース・ジャクソン英語版とは別人である。

2011年にNFL.com のライター、アダム・ランクによって、歴代のジャクソン姓の名選手として、ボー・ジャクソンリッキー・ジャクソンハロルド・ジャクソントム・ジャクソンスティーブン・ジャクソンとともに取り上げられ、4位に評価された[12]

脚注

  1. ^ a b 25 Most Underrated Players in Philadelphia Eagles History”. bleacherreport.com. 2019年10月15日閲覧。
  2. ^ The Top PARADE All-America High School Football Players of All Time”. パレード誌 (2011年12月22日). 2019年10月14日閲覧。
  3. ^ Keith Jackson”. カレッジフットボール殿堂. 2019年10月15日閲覧。
  4. ^ a b c d The Gridiron Life”. keithjackson88.com. 2019年10月16日閲覧。
  5. ^ a b Biography”. keithjackson88.com. 2019年10月16日閲覧。
  6. ^ KEITH JACKSON LEAVES EAGLES FOR DOLPHINS”. ワシントン・ポスト (1992年9月29日). 2019年10月15日閲覧。
  7. ^ Vito Stellino (1992年9月30日). “Dolphins make Jackson $6 million man Free agent unseats former Terp Edmunds”. ボルチモア・サン. 2019年10月15日閲覧。
  8. ^ a b Dolphins trade Keith Jackson to Packers”. UPI (1995年3月29日). 2019年10月15日閲覧。
  9. ^ Raymond Rivard (2013年3月24日). “Keith Jackson: A Sunday stroll through Green Bay Packers history”. lombardiave.com. 2019年10月15日閲覧。
  10. ^ Keith Jackson Retires”. ニューヨーク・タイムズ (1997年3月25日). 2019年10月15日閲覧。
  11. ^ Rams sign 7th-round draft pick Jackson”. nfl.com (2012年7月26日). 2019年10月15日閲覧。
  12. ^ Adam Rank (2011年4月4日). “Bo Jackson tops our list of the NFL's all-time Jacksons”. nfl.com. 2019年10月16日閲覧。

外部リンク

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