カレン子爵(カレンししゃく、英: Viscount Cullen)は、アイルランド貴族の爵位。1642年に創設され、1810年に廃絶した。
イングランド内戦における騎士党の1人チャールズ・コケイン(1602–1661)は1642年8月11日にアイルランド貴族であるティペラリー県におけるカレン男爵とカレン子爵(Viscount Cullen, co. Tipperary)に叙された[1]。この爵位には特別残余権(special remainder)が規定されており、初代子爵の男系子孫が断絶した場合、ウィロビー・ド・アーズビー男爵モンタギュー・バーティー(英語版)(1608–1666)の次男以降の息子、すなわちペレグリン・バーティー(英語版)(c.1634–1701)、リチャード・バーティー(英語版)(c.1635–1686)、ヴィアー・バーティー(英語版)(1638/1640–1681)、チャールズ・バーティー(英語版)(c.1640–1711)の4人、およびその男系子孫が継承できるとした[1]。
以降5世代にわたって父から息子へと爵位が継承されたが、6代子爵ボーレイス・コケイン(1740–1810)が死去すると、初代子爵の男系子孫が断絶した[2]。カレン子爵位は1819年には公式に廃絶したものとして扱われたが、『完全貴族要覧』第2版(1913年)は6代子爵が死去した時点ではチャールズ・バーティーの男系継承者にあたる第9代リンジー伯爵アルベマール・バーティー(英語版)(1744–1818)が推定相続人で、その死後は歴代リンジー伯爵が相続したと判断した[2]。ただし、カレン子爵位創設の特許状は1913年時点で失われている[2]。
カレン子爵家の遺産は5代子爵チャールズ・コケイン(1710–1802)の次男で6代子爵の異母弟にあたるウィリアム・コケイン閣下(1756–1809)の10人の娘が共同で相続した[2]。そのうちの1人メアリー・アン(c.1782–1873)の息子が『完全貴族要覧』の著者ジョージ・エドワード・コケイン(1825–1911)である[2]。