- オーストリア大公国
- Erzherzogtum Österreich (ドイツ語)
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- 国の標語: Alles Erdreich ist Österreich untertan(ドイツ語)
全世界はオーストリアに属する
1789年の領土-
オーストリア大公国(オーストリアたいこうこく、ドイツ語: Erzherzogtum Österreich、ハンガリー語: Osztrák Hercegség、チェコ語: Rakouské arcivévodství)は、神聖ローマ帝国内の領邦の一つで、現在のオーストリア共和国の前身である。1457年の成立から1806年の神聖ローマ帝国の解体まで、ハプスブルク家、のちその後身のハプスブルク=ロートリンゲン家が統治した。いわゆるハプスブルク帝国の中核をなし、オーストリア帝国の成立以後もその重要な構成国となった。
元来のオーストリア公領に含まれない領域であっても、オーストリア・ハプスブルク家が支配した地域を合わせて「オーストリア(エースタライヒ)」と呼ぶことが多いため、本項ではその部分も含めて記述する。
概要
前身はオーストリア公国で、さらにバーベンベルク家のオストマルク東方辺境伯領が起源である。
神聖ローマ帝国の南東辺境部の一領邦ではあるが、オーストリア大公であるハプスブルク家当主はこの時代以降に神聖ローマ皇帝位をほぼ世襲化したため、中央ヨーロッパの大国として帝国内で主導権を有していた。中世後期には既に形骸化しつつあった神聖ローマ帝国が、近世初期のヴェストファーレン条約によって完全に有名無実化すると、ハプスブルク家の「オーストリア」として中東欧方面に領土を拡大、列強国の一つとして君臨し続けた。
1804年にナポレオン・ボナパルトがフランス皇帝を称すると、オーストリア大公でもあった神聖ローマ皇帝フランツ2世は、オーストリア皇帝フランツ1世を称した。そして1806年には、神聖ローマ帝国が正式に解体され、所領はオーストリア帝国として再編された。
歴史
参考文献