エレン・ハンセル

エレン・ハンセル
Ellen Hansell
エレン・ハンセル
基本情報
フルネーム Ellen Forde Hansell Allerdice
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・ペンシルベニア州フィラデルフィア
生年月日 (1869-09-28) 1869年9月28日
没年月日 (1937-05-11) 1937年5月11日(67歳没)
死没地 同・ペンシルベニア州ピッツバーグ
利き手
殿堂入り 1965年
4大大会最高成績・シングルス
全米 優勝(1887年・第1回大会)
優勝回数 1(英1)

エレン・ハンセルEllen Hansell, 1869年9月28日 - 1937年5月11日)は、アメリカペンシルベニア州フィラデルフィア出身の女子テニス選手。1887年から始まった「全米女子シングルス選手権」(現在の全米オープンテニス女子シングルス部門)で、第1回大会の優勝者になった選手である。右利きの選手で、横手側(サイドスロー)から放たれるサービスを最も得意にした。フルネームは Ellen Forde Hansell Allerdice (エレン・フォード・ハンセル・アラーディス)という。

来歴

現在は「全米オープン」として知られるテニス競技大会は、1881年から男子シングルスと男子ダブルスが始まり、女子シングルスはそれから6年後の1887年に第1回の競技大会が行われた。最初期の時代は、各部門が個別の名称を持ち、大会会場も別々のテニスクラブで開かれていた。男子シングルスは「全米シングルス選手権」(U.S. National Singles Championship)、男子ダブルスは「全米男子ダブルス選手権」(U.S. National Men's Doubles Championship)の名前を持ち、女子シングルスは1887年に「全米女子シングルス選手権」(U.S. Women's National Singles Championship)という名前で始まった。第1回大会の会場となった「フィラデルフィア・クリケット・クラブ」は、当時18歳の少女だったエレン・ハンセルの故郷に近い場所でもあった。ハンセルは最初の女子シングルス決勝でローラ・ナイト(Laura Knight)を 6-1, 6-0 で圧倒し、「全米女子シングルス選手権」の初代優勝者になった。しかし1888年の決勝ではバーサ・タウンゼントに 3-6, 5-6 で敗れ、2年連続優勝を逃した。(テニス競技大会の黎明期には、ゲームカウント 5-5 になった時に次のゲームで勝敗を決めていたため「6-5」の試合結果が多く見られた。)

エレン・ハンセルは後に、テニスを始めた少女時代の回想を語った。それによると、彼女はもともと貧血気味の子供であったため、家庭医が彼女の母親に、娘の健康増進のためにテニスを勧めたという。選手引退後はテーラー・アラーディス(Taylor Allerdice)と結婚して静かな余生を送り、1937年5月11日ピッツバーグにて67歳で逝去した。

外部リンク

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