1915年、チャップリンはエッサネイ社と契約し、カリフォルニア州ナイルズ(現フリーモント市)の撮影所で2作目の映画『アルコール夜通し転宅』(A Night Out)を撮影していた。チャップリンはその作品のヒロインとなる女優を探していたところ、スタッフの一人がエドナを紹介する。チャップリンはエドナと面会し、初印象を「可愛いなどという程度ではなく、まったく美しかった」と語っている。だが、チャップリンはエドナが「喜劇には不向きである」と感じた。しかし、結局エドナはその役を射止め、チャップリン映画の主演女優として、それ以降ほとんどすべての作品で共演することとなる。
チャップリンとエドナは、1915年から1917年の間、公私共々恋愛関係にあった。エドナが出演したチャップリン映画は34本に及び、その中には1921年封切りの『キッド』のような古典的名作も含まれる。エドナが出演した最後のチャップリン作品は1923年の『巴里の女性』で、彼女の初主演作でもあった。その後、エドナはもう2本の映画に出演している。1つは1926年作、チャップリンがプロデューサーになり、ジョセフ・フォン・スタンバーグが監督した『かもめ』 (The Sea Gull)(またの題名を『海の女性』(A Woman of the Sea)) で、エドナは再び主演を務めた。しかし、この作品は一度も公開されることなく、現在ではネガも現存していないとされる。次にエドナが出演し、彼女の最後の出演作となったのは、1927年公開のフランス映画、『王子教育』(Éducation de Prince)。この作品を最後にエドナは女優業を引退するが、チャップリンは彼女が亡くなるまで「チャップリン・スタジオの専属女優」として週に150ドル、出演料の支払いを続けた。