1985年、トリッド・レコードと契約し、デビュー・アルバム『Bonded by Blood』をリリース。アルバムリリース後のツアーでは、スレイヤー、ヴェノム等と共演し、その時の模様はビデオ『Combat Tour-The Ultimate Revenge-』としてリリースされる。
1986年、ポール・バーロフが脱退。地元のローカル・バンドのレガシー(後のテスタメント)のスティーヴ・スーザを後任に迎えるが、印税の支払いをめぐってトリッド・レコードとの間にトラブルが起こり活動が停滞してしまう。翌年、新たにコンバット・レコードと契約し、2ndアルバム『Pleasures Of The Flesh』をリリース。
1990年にキャピトル・レコードより4thアルバム『Impact Is Imminent』でメジャーデビューを飾る。このアルバムではゲイリー・ホルトとリック・ヒューノルトの二人がH-Teamとしてプロデュースを行った。アルバムリリース後、スイサイダル・テンデンシーズ等とアメリカツアーを行った他、12月には初の日本公演を行う。
コンバット・レコードとの契約消化のため、1991年にライブアルバム『Good Friendly Violent Fun』(1989年7月に地元サンフランシスコで行われたライブを収録)、1992年にベストアルバム『Lessons In Violence』(1st~3rd・Good Friendly Violent Funから選曲のベスト)がリリースされる。
1992年にジューダス・プリーストなどのプロデュースを手掛けたクリス・タンガリーディスをプロデューサーに迎え、5thアルバム『Force Of Habbit』をリリースするが、ニルヴァーナ、パンテラの台頭や、メタリカのブラックアルバムのヒットに影響され、メタル・シーンがヘヴィでグルーブ重視の方向に進む中、彼等もスピードを抑え目でグルーブ主体の曲に路線を変更してしまい、ファンの不評を買ってしまう。また、レコード会社のサポートも得られないまま、活動が停滞してしまい、ジョン・テンペスタの脱退もあってバンドは解散状態に陥ってしまう。
1997年にロブ・マッキロップを除く1st発表時のメンバーで再結成し、3月8日に地元サンフランシスコでショーを行う。この時の模様を収録したライブCD『Another Lesson In Violence』をセンチュリー・メディアよりリリースしたが、その後自然消滅の形でバンドは再び解散。
2001年に癌との闘病中だったテスタメントのボーカル、チャック・ビリーの為のベネフィットイベント「Thrash Of The Titans」に出演。このイベントのためデス・エンジェル、フォビドゥン、ヴァイオレンス、ヒーゼン、ラーズ・ロキットなどの多くのベイエリア・スラッシュメタルバンドが一時的に再結成を行う。このイベントの成功により、活動を再開するバンドも多数出て、エクソダスも再々結成という形で活動を再開することになる。
2004年、復活第一弾となる6thアルバム『Tempo Of The Damned』をリリースし、3度目の日本公演を行う。しかし、日本公演終了後にスティーヴが脱退(正式には解雇)。予定されていた南米ツアーをエグジュームドのマット・ハーヴェイ、スキンラブのスティーブ・エスクイヴェルらをヘルプに迎え行う。