ウォリー・チェンバースWally Chambers |
---|
基本情報 |
---|
ポジション |
ディフェンシブタックル ディフェンシブエンド |
---|
生年月日 |
(1951-05-15) 1951年5月15日 |
---|
没年月日 |
(2019-09-22) 2019年9月22日(68歳没) |
---|
出身地 |
アメリカ合衆国・アラバマ州フェニックスシティ |
---|
身長: |
6' 6" =約198.1cm |
---|
体重: |
250 lb =約113.4kg |
---|
経歴 |
---|
大学 |
東ケンタッキー大学 |
---|
NFLドラフト |
1973年 / 1巡目全体8位 |
---|
初出場年 |
1973年 |
---|
初出場チーム |
シカゴ・ベアーズ |
---|
所属歴 |
---|
|
受賞歴・記録
|
---|
オールプロ選出(4回) |
---|
1973-1976 |
プロボウル選出(3回) |
---|
1973, 1975-1976 |
その他受賞・記録 |
---|
NFL最優秀新人守備選手賞(1973) |
NFC最優秀守備選手賞(1976) |
シカゴ・ベアーズの偉大な100人 |
|
NFL 通算成績 |
---|
ファンブルリカバー |
3回 |
---|
インターセプト |
1回 |
---|
Player stats at NFL.com |
|
|
Player stats at PFR |
ウォリー・チェンバース(Wally Chambers、1951年5月15日-2019年9月22日 )はアラバマ州・フェニックスシティ出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはディフェンシブラインマン。
経歴
ミシガン州で育った彼はマウントクレメンス高校でプレーした後、東ケンタッキー大学に進学、オールアメリカンにも選ばれた[1]。
1973年のNFLドラフト1巡全体8位でシカゴ・ベアーズに指名されて入団した。その年、全14試合に先発出場し、NFL最優秀新人守備選手に選ばれた[2]。またプロボウルには1973年、1975年、1976年の3回選出された。1976年には非公式記録ながら14サックをあげて、オールプロファーストチームにも選ばれた[2]。1973年から1975年までオールプロセカンドチームに選ばれている[3]。
1977年1月の試合で右膝に重傷を負った[2]。怪我の影響もあり、1977年は4試合の出場に終わった[2]。
1978年、タンパベイ・バッカニアーズにトレードされ、1979年シーズン終了後、28歳で現役を引退した[2]。
ベアーズでは5シーズンで先発55試合を含む56試合に出場した[2]。
現役引退後、北アイオワ大学、東カロライナ大学、テンプル大学のアシスタントコーチを経て[2]、1989年、ニューヨーク・ジェッツのディフェンシブラインコーチを務めた[1]。この年チームは4勝12敗に終わりジョー・ウォルトンヘッドコーチとともに解任された[4]。
1992年にはラリー・リトルヘッドコーチの下でワールドリーグのオハイオ・グローリーでアシスタントコーチを務めた。
晩年にはひざと背中の痛みで車椅子を使って生活をしていた[2]。
2019年9月22日、68歳で亡くなった[2]。
シカゴ・トリビューンによってシカゴ・ベアーズの偉大な100人の52位に評価されている[2]。
脚注
外部リンク