キリグルー卿は物思いにふけるように画面左端にある古典的な石柱の根元にもたれかかるように立っている。ヴァン・ダイクはキリグルー卿の視線を鑑賞者からそらせることで瞑想的な博識ある人物として描いている。黒いサテンのジャケットにはリボンで結ばれた指輪が吊るされている。おそらくこれは愛する人がいるか、あるいは世を去った人を追悼していることを暗示している[1]。この頃、ヴァン・ダイクはキリグルー家の肖像画をいくつか制作しており、同じ年に弟トーマス・キリグルー(英語版)を描いた二重肖像画『トーマス・キリグルーとウィリアム・クロフツ卿の肖像』(Thomas Killigrew and Possibly Lord William Crofts)を制作している[1][7]。この二重肖像画では陰鬱な表情のトーマスが左肘をついて頭を支える姿で描かれ、その左手首には指輪を通した黒いシルクのバンドを身に着けているのが見える。本作品が描かれた1638年、トーマスは妻セシリア・クロフツ(英語版)を亡くしており、それゆえトーマスは死去した妻の結婚指輪を身に着けて追悼の意を表していると考えられている[7]。したがって、本作品に描かれた指輪も同様に追悼の意を表していると考えられる[1]。
構図はヴァン・ダイクのヴェネツィア派絵画の研究を反映している。特に画面左端の石柱はティツィアーノ・ヴェチェッリオの影響が指摘されている。ティツィアーノは男性の肖像画を描く際に、モデルの地位と財産を伝えるため、頻繁に肖像画の背景に石柱を描き入れた。ティツィアーノによって1533年から1535年頃に制作されたアシュモレアン博物館所蔵の『ジャコモ・ドーリアの肖像』(Ritratto di Giacomo Doria)はその最初期の作例である。こうしたヴェネツィア派に影響を受けたヴァン・ダイクの肖像画はジョシュア・レノルズやトマス・ゲインズバラといった後世のイギリスの画家に影響を与えた[1]。
肖像画は1683年まで弟トーマス・キリグルーによって所有されたことが知られている[2]。その後もおそらくキリグリー家に遺されていたと考えられている。19世紀初頭にはウィリアム・カーペンター(William Carpenter)が所有しており、1853年にフィリップス(英語版)で売却[3]。これを購入したのが第5代ニューカッスル公爵ヘンリー・ペラム=クリントンであり、肖像画はしばらくの間ニューカッスル公爵家で相続された。しかし第10代ニューカッスル公爵エドワード・ペラム=クリントン(英語版)が1939年に肖像画を手放すと、その後は多くの所有者の手を渡ることになる。1942年までロンドンの美術商美術協会(Art Dealer Fine Arts Society)、1942年にスコットランドの美術コレクターのW・U・グッドボディ(W.U.Goodbody)、1958年にチューリッヒのケーツァー・ギャラリー(Koetser Gallery)らが入手したのち[2][3]、ロンドンの美術商ロバート・ホールデン(Robert Holden Ltd.)の手に渡った[2]。テートは2002年にアート・ファンド(英語版)、パトロン・オブ・ブリティッシュ・アート(Patrons of British Art)、実業家・慈善家・冒険家のクリストファー・オンダーチェ(英語版)の援助を受けて[1]、ロバート・ホールデン社から肖像画を購入した[2]。