この項目では、アムトラックの鉄道トンネルについて説明しています。イースト川を通るトンネルの一覧については「イースト川#トンネル 」をご覧ください。
イースト川トンネル (英 : East River Tunnels )は、ペンシルベニア駅 の東端、マンハッタン にある32丁目と33丁目の交差点の地下からイースト川 を横切りクイーンズ のロングアイランドシティ (英語版 ) へ伸びる、4本の単線鉄道トンネル である。このトンネルをペンシルベニア駅やその北や東の地点を発着するロングアイランド鉄道 (LIRR) とアムトラック の列車が行き来する。またこのトンネルをサニーサイド車両基地 (英語版 ) へ回送 するニュージャージー・トランジット の列車も行き来する。トンネルはアムトラックの北東回廊 の一部である。ニューヨーク とボストン の間やその他の目的地の間を行き来する列車はヘルゲート橋 を行き来する途中でこのトンネルを使用する。
歴史
イースト川およびノース川の鉄道トンネルの断面図を見せる1907年の博覧会の展示品
そのトンネルは20世紀の最初の10年間にペンシルバニア・トンネル・アンド・ターミナル鉄道 (英語版 ) の一部として、ニューヨークにあるペンシルバニア鉄道 の鉄道駅まで建設され、ペンシルベニア駅と同鉄道のサニーサイド・ヤードとの接続路線を構成した。当時LIRRはペンシルバニア鉄道の子会社であり、そのトンネルはLIRRが最初に(そして現在まで、唯一)マンハッタンへ直接アクセスすることを可能にした。
その計画は技師長のアルフレッド・ノーブル (Alfred Noble ) によって指揮された[ 2] 。建設契約はS・ピアソン・アンド・サンと結ばれ、作業は1904年に開始された[ 3] :111 。4本のトンネルが同時に建設され、ペンシルベニア駅から東へ、ロングアイランドシティから西へ、1番街のすぐ東にある立坑から東西へ掘削された。トンネルは1910年にペンシルベニア駅とともに開業した。1910年までは、LIRRの列車はロングアイランドシティまで走行しており、乗客はそこからイースト川を横断するフェリーでマンハッタンの34丁目へ向かっていた。
現在の運行
イースト川トンネルは現在アムトラックが所有し、第三軌条方式 と架空電車線方式 の両方によって電化されている。ディーゼル機関車 は通風の問題により、緊急時を除きトンネル内に入ることを許可されていない。そのため、LIRRはDM30AC (英語版 ) (デュアルモード機関車 )をラッシュ時に何本かの非電化路線からペンシルベニア駅に出入りする列車を牽引するために使用している。
川の下にある4本の線路は南から北に向かって数字がつけられており、1・2号線は32丁目のすぐ下を走り、3・4号線は33丁目の下を走る。東行きの列車は1番線と3番線を使う傾向があり、このため東行きの路線をまとめるために3号線のトンネルは2号線のトンネルの東端の数百フィート西側で2号線の下をくぐっている。
1・3号線の東側の入口: 北緯40度44分34秒 西経73度56分42秒 / 北緯40.7429度 西経73.9450度 / 40.7429; -73.9450 2号線の東の入口: 北緯40度44分32秒 西経73度56分54秒 / 北緯40.7421度 西経73.9483度 / 40.7421; -73.9483 4号線の東の入口: 北緯40度44分35秒 西経73度56分45秒 / 北緯40.74305度 西経73.94585度 / 40.74305; -73.94585
西からハロルド信号扱所 (Harold Interlocking ) へ接近するとき、4本の線路は南から北に向かって1-3-2-4号線である(そのとき3本のLIRRの線路は2号線と3号線の間であり、サニーサイド・ヤードへの引込線があちこちにある)。ハロルド信号扱所の東側では、1-3号線がLIRRの本線の4-2番線(南から北に)となり、2-4号線はLIRRの本線の3番線や西へのポートワシントン支線の本線となる。(ハロルド信号扱所は1990年に再配置された。それまでは2-4号線は西へのポートワシントン支線および西へのヘルゲート橋の線路となっていた。)
脚注
関連項目