敬愛するテオドール・シャッセリオー の死の寓意として制作された『若者と死 』。同じ年のサロンに出品された。フォッグ美術館 所蔵。
アンドレア・マンテーニャ 『パルナッソス』のメルクリウス (ディテール)。
『イアソン 』(仏 : Jason )あるいは『イアソンとメデイア 』(仏 : Jason and Medea , 英 : Jason and Medea )は、フランス 象徴主義 の画家ギュスターヴ・モロー が1865年に制作した絵画である。油彩 。主題はアルゴー船 の冒険譚で名高いギリシア神話 の英雄イアソン とコルキス の王女メデイア である。モローを代表する神話画の1つで、前年のサロン で画壇復帰を果たした『オイディプスとスフィンクス 』(Œdipe et le Sphinx )に続き、翌年のサロンに寓意画『若者と死 』(Le Jeune homme et la mort )とともに出品し、再び成功を収めた[ 1] 。現在はパリ のオルセー美術館 に所蔵されている。
主題
テッサリア の都市イオルコス の王子イアソンは、叔父のペリアス 王からはるか東方の国コルキスの宝物、金毛羊 の毛皮を持ち帰ることを命じられる。そこでイアソンはギリシア中から優れた英雄を募り、アルゴー船を建造し、コルキスへの冒険に乗り出した。長い旅の末にコルキスにたどり着いたイアソンは魔法 に長けた王女メデイアの助けを借りて、アイエテス 王の試練を乗り越え、毛皮を守護する巨大なドラゴン を殺し、無事に毛皮を手に入れて帰国を果たした。
作品
モローはメデイアの魔法の助けを借りて怪物を倒したイアソンを描いている。青年の姿で表された英雄イアソンは右手を高らかに掲げ、勝利を噛みしめている。王女メデイアはすぐ後ろに立ち、英雄の肩に左手を置きながら、静かにその横顔を見つめている。メデイアの魔女 としての恐るべき性質は右腕に乗った蛇 によって表現され、その手には怪物を眠らせるために用いた魔法の薬が握られている[ 1] 。イアソンが倒した金羊毛を守護する怪物は、神話では巨大なドラゴン とされるが、モローは怪物を鷲 の上半身を持つグリフォン のような怪物として描いている[ 1] 。イアソンの足の下で横たわる怪物の口は血で染まり、首には致命的な一撃を与えた槍の穂先が折れたまま刺さっている。槍の残りの柄と盾は画面右下の怪物の翼とともに大地の上に描かれ、蛇の形をした怪物の巨大な尾は血を流しながら後景でのたうっている。
宝物である金羊毛は不思議な形状で描かれている。イアソンとメデイアの隣に立っている装飾柱がそれであり、スフィンクス 像を戴く装飾柱の上部に、金羊毛の頭部を持つ金色のうろこ状の毛皮が掛けられ、柱をコーティングするように覆っている[ 1] 。金羊毛の角からは宝飾やメダルを繋げた長い装飾品が垂れ下がり、さらに文字の記された帯が柱に巻かれている。帯にはオウィディウス 『変身物語 』7巻の2つの詩句が記されている。そのうちの1つは恋に落ちたメデイアの胸の内を歌った詩句であり、もう1つは怪物を倒した後の帰国を告げる詩句である[ 1] 。
イアソンの愛を手に入れ、その胸にすがってどこまでも海を渡って行けばいい、あの人を抱きしめたなら恐れるものなんて何もないのだから。
こうして英雄イアソンは金毛羊の毛皮を手に入れた。しかしこの素晴らしい戦利品をもたらしたメデイアもまた、もう一つの戦利品と呼ぶべきだろう。この美しい妻を伴って、イアソンは故郷のイオルコスに凱旋するだろう。
図像の源泉
メデイアがイアソンの肩に手に置く構図は、モローがイタリアのヴィラ・ファルネジーナ で模写したソドマ の『アレクサンドロスとロクサネの結婚』(Les Noces d'Alexandre et Roxane )の結婚の神ヒュメナイオス から着想を得ている。この中でヒュメナイオスはアレクサンドロス大王 の友人ヘパイスティオン の隣に立ち、彼の肩に手を置いている[ 2] [ 1] 。
イアソンの図像についてはヘルメス 神(ローマ神話 のメルクリウス )のイメージが重ねられている。準備素描(Des.1973)からイアソンの有翼の兜はヘルメスのものであると分かる。さらにイアソンの背後にヘルメスのアットリビュート であるカドケウス の杖が描かれている[ 1] 。モローはヴィラ・ファルネジーナでラファエロ・サンツィオ が描いたカドケウスの杖を持つヘルメス像を見たと思われ、またルーヴル美術館 ではアンドレア・マンテーニャ の『パルナッソス』(Parnassus )のヘルメスを模写している。モローはこれらのヘルメス像をもとにイアソン像を作り出している[ 1] 。
神話解釈
モローの絵画はメデイアがイアソンを自身の強い影響下に置いていることを暗示している[ 1] 。この点で特に重要なのは同年に発表された『若者と死』との共通性である。テオドール・シャセリオー の死の寓意である『若者と死』では、若者の背後に死を象徴する女性像を描くことで、若者が逃れられない死に支配されていることを表現している。本作品に描かれたイアソンも状況は同じであり、実際に帰国を果たしたイアソンは、後にメデイアの愛を裏切ったために、彼女に殺されるという運命が待っている。モローはイアソンの背後に魔女としての魔性を秘めたメデイアを描くことで、その後の彼の運命をも暗示している[ 1] 。ギュスターヴ・モロー美術館に所蔵されている準備素描(Des.1754)では、背後に立つメデイアはイアソンの腕の下から顎に手を伸ばして頬を寄せており、タブロー以上にメデイアの影響力が強調されている。また別の素描(Des.1755)では、メデイアは後方の離れた場所に座ってイアソンを見つめている。この2つの素描はメデイアの表現に関してそれぞれ異なる構想を示しており、モローはそれらを1つに融合して描いている[ 3] 。
来歴
画家からの購入によって個人コレクションに加わった後、ポール・デトリモン(Paul Detrimont)を経て、ユダヤ人 の富豪エフルッシ家 (英語版 ) の出身で美術評論家 のシャルル・エフルッシ (英語版 ) のコレクションに加わった。当時、エフルッシとそのサークルはレオン・ボナ とモローの絵画に熱中していたが、彼と親交のあった印象派 の画家ピエール=オーギュスト・ルノワール はモローを批判している[ 4] 。その後、アイザック・エフルッシ(Isaac Ephrussi)が所有したのち、シャルル・エフルッシの姪の夫で考古学者 のテオドール・レイナック (英語版 ) によって1908年にリュクサンブール美術館 に寄贈された。絵画は1918年から1929年まで同美術館に所蔵されたのち、ルーヴル美術館 、さらにオルセー美術館に移されて現在にいたっている[ 5] 。
ギャラリー
脚注
参考文献
『ギュスターヴ・モロー』国立西洋美術館 ほか編、NHK (1995年)※1995年のギュスターヴ・モロー展の目録
外部リンク