アントワーヌ3世・アジェノール・ド・グラモン (Antoine III Agénor de Gramont-Toulongeon, duc de Gramont, 1604年 - 1673年 7月12日)は、フランス の貴族、軍人 。グラモン伯爵およびギーシュ伯爵。のちグラモン公爵。1641年にはフランス元帥 となり、ナバラ王国 とベアルン の総督、バイヨンヌ の知事にもなっている。
グラモン元帥
略歴
グラモン伯爵は、南フランスの名門貴族の出身だった。リシュリュー 枢機卿に対して忠実に仕えた。ある時、グラモン伯爵が酔っ払った際、自分にとっては国王や王室よりも枢機卿の方がずっと重要だ、という趣旨の発言をしたこともあると言われている。そして1634年、グラモン伯爵はリシュリューの姪と結婚している。
三十年戦争 では幾多の手柄を立て、1641年9月22日にフランス元帥へ昇進している。さらに、グラモン伯爵とその相続人は公爵 の爵位を与えられた。1653年には大臣となり、1657年にはフランクフルト・アム・マイン の議会の大使となった。さらに、1660年にはルイ14世 とスペイン王女マリー・テレーズ・ドートリッシュ の結婚についての許可を得るため、スペインに派遣されている。
死後、『グラモン元帥の回想録』(Mémoires du maréchal de Gramont , パリ、1716年)が息子アントワーヌ=シャルルにより出版された。
子供
アルマン (1637年 - 1673年) オルレアン公フィリップ の寵臣。
カトリーヌ=シャルロット(1639年 - 1678年) 1660年にモナコ公ルイ1世と結婚。ルイ14世の愛人。
アントワーヌ=シャルル(1641年 - 1720年) ナバラ州の総督
シラノ・ド・ベルジュラック
エドモン・ロスタン の戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック 』には、主人公シラノの恋敵として登場する。初期は傲慢で好色な人物として描かれ、シラノとクリスチャンを亡き者にしようとアラスの包囲戦 に出兵させるなどする。しかし、最終的にはシラノの友人となる。