アルメニアのユーロビジョン・ソング・コンテストでは、アルメニアにおけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。
アルメニアは2006年大会で初めてユーロビジョンに参加した。このとき参加したのはアンドレ(André)の「Without Your Love」であった。アルメニアはそれ以前に参加したことはなく、準決勝からの参加であったが、準決勝を通過し、決勝進出を果たした。決勝では8位と健闘し、アルメニアのデビューを飾った[1]。
アルメニアは決勝への進出率が高い国の1つであるが、本大会では優勝したことも主催したこともない。2008年大会と2014年大会では共に4位となり、同国の史上最高順位である。2017年より国内選考大会(Դեպի Եվրատեսիլ、『ユーロビジョンへ』の意味)が開催されている。また、2021年大会では内政問題により辞退した[1]。
なお、本大会では優勝したことも主催したこともないが、ジュニア・ユーロビジョン・ソング・コンテスト2010で優勝したことにより、ジュニア・ユーロビジョン・ソング・コンテストを主催したことがある[1]。
隣国アゼルバイジャンとのナゴルノ・カラバフの主権と歴史認識問題により、ユーロビジョン・ソング・コンテストでしばしばアゼルバイジャンと論争を起こした。
2009年大会の準決勝で、インガ&アヌシュの演技の導入部に流されたビデオの中で、自国のものとしてナゴルノ・カラバフにある「我らの山」記念碑が映っていた。アゼルバイジャンの代表者は、大会主催者に対してこれを修正するよう求めた。その結果、5月16日の決勝では「我らの山」の記念碑が映像から取り除かれた[2]。アルメニア公共放送は報復として、エレバンからの得点発表の際に、「我らの山」を繰り返し映った[3]。
2012年大会はアゼルバイジャンのバクーで開催されるが、アルメニア側は国内のアーティストの抗議にもかかわらず、不参加表明の期限後の同年3月になってようやく不参加を表明したため、欧州放送連合から罰金を課された[4]。
オスマン帝国によるアルメニア人虐殺の100周年忌の2015年に、2015年大会でのアルメニアの代表曲はアルメニア人虐殺に対する否定を批判する曲『Don't Deny』が選ばれたが、アゼルバイジャン当局はアルメニア人虐殺を認めないため、「政治的な動き」としてアルメニア側に曲の改名を要求した[5]。その結果、アルメニア側は曲を『Face the Shadow』に改名したが、歌詞はそのままであった[6]。
2016年大会の準決勝で、イヴェータ・ムクチャンは広く承認されていないアルツァフ共和国の国旗を持ち出したため、欧州放送連合から警告を受けた[7]。