キリスト教圏の西洋では、金を集めることにもっぱら関心を寄せる人物は、教会の教えによって差別されてきた。キリスト教の立場からすれば、けちも高利貸しも、七つの大罪のひとつである強欲にあたるものとされ、両者はしばしば混同されることがある[5]。外典的書物である『ヘルマスの牧者(英語版)』に見える「ニレとツタ(英語版)」の寓話は、富者と貧者が互いに助け合う関係にあるべきだと説いている。富をもつ者は、救済を受けるためには貧しき者の祈りをしなければならないが、これは慈善を行なわなければ達成できない[6]。キリスト教のこうした教義を説明した後年の典型的な例は、アースキン・ニール(英語版)による『The Riches that Bring No Sorrow』(1852年)で、そこではフィランソロピストと、けち (miser) を対比した、一連の伝記を踏まえて道徳譚が語られている[7]。
これと並行して、古典古代から継承された考えとして、けちを奇人の一類型とする傾向があった。G・H・ウィルソン (G. H. Wilson) による全4巻の短い評伝集『The Eccentric Mirror』(1807年)をはじめ、19世紀の書物には、けちについての説明がいろいろ見出せる[8]。例えば、チャールズ・ディケンズの小説『互いの友 (Our Mutual Friend)』(1864年/1965年)では、けちは、喜劇的な扱いをされ、ヴィクトリア朝の資本主義に鋭く切り込んだ分析が示される。この小説の第3章では、ボフィン氏 (Mr Boffin) が、養女としたベラ・ウィルファー (Bella Wilfer) の、富や地位への執着を解くために、けちのようにふるまってみせる。