金 自點(キム・ジャジョム、1588年 - 1652年1月27日)は、李氏朝鮮中期の文官。第16代国王仁祖に仕えた西人派の官僚。本貫は旧安東金氏[1]。
生涯
1618年、兵曹佐郎に任命される。西人派に属し仁祖反正に加担、王の光海君を流刑に追い込み、崔鳴吉等と仁祖を擁立し、功績として定社功臣一等となり、洛興君に封じられた。1636年に清が朝鮮の降伏を求めて、侵入(丙子の乱)したため、仁祖の側近として参戦。しかし、朝鮮側が丙子の乱に惨敗した責任として、流刑に処された。
1640年、仁祖の特赦を受け、政界復帰。右議政や謝恩使を歴任後、1644年に左議政に封じられた。自身の孫である金世龍が、仁祖の娘の孝明翁主と婚姻したのを機に、宮廷での影響力を拡大していった。他にも姻戚となった貴人趙氏と共に、対立関係だった昭顕世子と愍懐嬪姜氏夫妻を死に追いやった。この事件後、領議政に封じられる。
1649年に後ろ盾だった仁祖が崩御。孝宗即位後は再び、流刑に処される。1651年に王命により、処刑された。
登場作品
テレビドラマ
脚注
外部リンク