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この項目では、漢姓の金について説明しています。日本の姓については「金氏」をご覧ください。 |
金(きん)は、漢姓の一つ。中国・韓国などに見られる。とくに朝鮮民族の姓の中では最大の姓となっている。中国では、漢民族・回族・満洲民族などが多く称しており、2020年の中華人民共和国の第7回全国人口調査(中国語版)(国勢調査)に基づく姓氏統計によると中国で62番目に多い姓であり、494.71万人がいる[1][2]。台湾の2018年の統計では第94位で、19,661人がいる[3]。
金氏の由来は多様である。主要な起源としては以下がある。
漢民族由来の姓
主要な起源
- 伝説
- 五帝の一人少昊(金天氏)の子孫は、「金」を姓とした。
- 賜姓
- 前漢の武帝の時、匈奴の休屠王の子・日磾らが捕えられ「金」の姓を与えられた。
- 明のとき、モンゴルの王子・也先土幹や、額森図克、阿爾哈特実哩らが降伏し、「金」の姓を与えられた。
- 清の乾隆帝は台湾原住民(高山族)に7つの姓を与えた。その一つが「金」であった。
- 改姓
- 他民族の漢化
- 羌族 - 南北朝時代、羌族の中で金姓を称するものがあった。
- ユダヤ人 - 12世紀初期の北宋徽宗の治世、中国に移住・定着して商業を営んだ。漢姓として金・李・俺・艾・趙・張など17の姓を称した。中国のユダヤ人については、開封のユダヤ人参照。
- 朝鮮民族(朝鮮族)、満洲族 は別項参照。
歴史
紀元前121年春、漢の武帝は霍去病に命じて隴西を攻めさせ、匈奴の休屠王が天を祀る儀式に用いていた像「祭天金人」を手に入れた。同年秋、休屠王の太子日磾は渾邪王とともに漢に降伏した。武帝は日磾を寵愛し、休屠王の「祭天金人」にちなんで「金」を姓として与えた。金日磾は漢の重臣となる。金日磾と弟の金倫の末裔は「金」を姓とした。金日磾の一族は武帝より七世にわたって内侍を務め、張湯の末裔とともに「金張」と並び称されて功臣世族の代名詞となった。
魏晋南北朝時代から隋唐にかけての貴族の時代、金氏の郡望(豪族として基盤を有する土地、のちに同じ祖先を戴く氏族集団の発祥地を示す)は彭城郡や京兆尹であった。
南北朝時代、金氏の中には現在の甘粛省に移る者がいた。北斉の大都督金祚は安定(現在の甘粛省涇川県)の人である。唐の貞観年間、益州蜀郡(現在の四川省成都市)の「三姓」の一つが金氏であり、汾州西河郡(現在の山西省臨汾市)の「四姓」の一つが金氏であった。
五代十国の一つである呉越では、初代皇帝銭鏐の諱である鏐(りゅう)と同音であることを避け、国内の劉姓の人(項伯の末裔)はみな「金」に改姓した。「劉」の字の頭の「卯」と旁を取り除いたものである。
宋から明の時代、金氏は南方では現在の浙江・江蘇一帯に発展し、現在の江西・安徽・湖南・湖北・福建・広東などに広がった。北方では、河南・河北・遼寧などの地域で金氏が集住する拠点があった。清朝の嘉慶年間より、閩・粤の金氏の中には台湾に移る者があり、またさらに海外(シンガポールなど)へと移住する者があった。
現代の台湾において、金姓の人口は第90位と多くはないが、台湾各地に暮らしている。大陸の金氏の台湾への移住は清代にはじまっているが、史料によればその出身地は時代によって変遷がある。山東に起源を持つ金氏は、まずは安徽・江蘇・浙江などに移住したのち福建・広東に至り、その後福建省を経て台湾に移っている。最初期に台湾に移った金氏は、清の嘉慶年間の金寿老で、台湾の金氏の始祖と見なされている。
著名な人物
- 歴史上の人物
- 金日磾 - 前漢の重臣。匈奴出身で「金」の賜姓を受ける。
- 金旋 - 後漢末期の武将。金日磾の子孫。
- 金禕 - 後漢末期の政治家。金旋の子。
- 金文剛 - 宋代の学者。
- 金履祥 - 元の学者。劉姓より改姓。
- 金鑾 - 明の散曲家。
- 金聖嘆 - 明末清初の文学批評家。張姓より改姓。
- 金農 (書画家)(中国語版) - 清代の書画家。
- 金之俊(中国語版) - 清代の政治家。
- 金侃 - 清代の画家。
- 金榜 - 清代の学者。
- 金樹仁 - 中華民国期の政治家。新疆を支配した。
- 現代の人物
- 金人慶 - 中華人民共和国の政治家。
- 金美齢 - 台湾出身の日本の評論家。
- 金燕玲 - 台湾の女優・歌手。
- 金莎 - 上海出身の歌手。
作家の金庸はペンネームで、本名は査良鏞。
- 架空の人物
朝鮮の姓
回族の姓
起源
回族の金氏の多くは、祖先のムスリム名に由来するものか、賜姓によって金を姓としたものである。イブラヒムという名は古くは「亦不喇金」と漢訳されており、ここから漢姓として「金」を採ったのである。
また、他民族で金姓を持つ者がイスラム教に帰依する例もある。
各地の金氏
- 泉州金氏 - 多くは元末の泉州守将、金吉の末裔である。
- 大興金氏 - 北京の大興金氏は、回族の中でも名門とされる。清の康熙年間に武進士金懐瑋(中国語版)があり、その子孫からは多くの進士・挙人が出た。
- 考城金氏 - 祖籍は北京。のちに汴に移り、明末に黄河の決壊によって考城に移った。金楼東支・金楼西支という支族に分かれた。
著名な人物
- 金大車(中国語版) - 明代の詩人。メッカ(麦加)出身で明太祖(朱元璋)から「金」姓を賜った人物を祖先に持つ。
満洲民族の姓
金姓は、女真族(満洲民族)の中では最も早く用いられた漢姓である。元末明初、火児阿万戸である阿哈出(本姓は古倫)は、漢姓として「金」を称した。朝鮮の『朝鮮王朝実録』によれば、鉄嶺北部女真の都夫失里千戸の火失貼木は金を姓としたという[4]。
満洲族が金(後金、のちに清)を建国すると、愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)などの皇族が南下した。「アイシン」(ᠠᡳᠰᡳᠨ)は「金」という意味の部族名に由来しており、清朝滅亡後、愛新覚羅氏の多くが漢語に翻訳した「金」姓に改めた。
満洲族の金姓は、もともとの愛新覚羅氏、金佳氏、精吉氏、精格理氏、索爾済氏、鈕祜禄氏、車勒庫車氏、錫爾馨氏、馬佳氏、索爾済氏などの氏族を含んでいる[4]。
また、旗人に編入された朝鮮族の金氏や漢民族の金氏、モンゴル族の阿穆尼布塔斯氏などが、満洲系の金氏に含まれる[4]。
著名な人物
脚注
- 「※」印をつけたものは、訳出元に掲げられた出典であり、翻訳に際して参考にしてはいない。
中国の多い姓上位100位 |
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第1~25位 | |
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第26~50位 | |
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第51~75位 | |
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第76~100位 | |
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備考 |
- 2020年の第7回中華人民共和国全国人口調査(中国語版)(国勢調査)に基づく姓氏統計による。
- 簡体字の制約などによる特記事項。
#第33位の「肖」は二簡字改革により改姓した「蕭」を含む(簡体字表記の「萧」姓は別統計)。 #第41位の「葉」は簡体字で「叶」と表記。 #第53位の「鍾」は簡体字で「钟」と表記。 #第66位の「傅」は簡体字で「付」と表記(簡体字表記の「傅」姓は別統計)。 #第73位の「邱」は簡体字で「邱」と表記(簡体字表記の「丘」姓は別統計)。 #第77位の「閆」は簡体字で「闫」と表記する(簡体字表記の「阎」姓は別統計)。 #第96位の「戴」は簡体字で「戴」と表記する(簡体字表記の「代」姓は別統計)。
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台湾の多い姓上位100位 |
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第1~25位 | |
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第26~50位 | |
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第51~75位 | |
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第76~100位 | |
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備考 |
- 2023年6月30日公表の中華民国内政部の資料による統計。台湾の姓も参照。
- 中国大陸、東南アジアからの移民なども統計に含まれる。また、違う字体を使用する姓を2つの姓と見なされることもある。
#第3位は繁体字の「黃」であり、80位は簡体字の「黄」である。 #64位の「温」は簡体字と同形である。
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