西岡 恭蔵(にしおか きょうぞう、1948年5月7日 - 1999年4月3日)は、日本のミュージシャン、シンガーソングライター、作詞家、作曲家。愛称は「ゾウさん」。妻のKUROは作詞家。
三重県志摩郡志摩町(現志摩市)布施田出身。三重県立伊勢高等学校、近畿大学卒。
1960年代にフォーク喫茶「ディラン」の雇われマスターとなる。その店に集まっていた常連客たちと、ゆるやかなユニットのようなフォークグループ「ザ・ディラン」を結成する。1971年(昭和46年)頃に、ソロシンガーを目指し、同グループを脱退。しかし、彼が抜けた後の「ザ・ディランII」(ザ・ディランはメンバーを固定しないグループで人の入れ替わりが激しかったが、最終的に残った大塚まさじ、永井洋がザ・ディランIIを名乗る)のデビューアルバム『きのうの思い出にわかれをつげるんだもの』のレコーディングには参加する(同アルバムの楽曲の大半は、ザ・ディランのレパートリーであった)。象狂象のペンネームで作った「プカプカ」は、彼にとっても、ザ・ディランIIにとっても、大塚にとっても代表曲となる。
1972年(昭和47年)に、吉野金次プロデュースのアルバム『ディランにて』でソロデビュー。12月10日、ジャズシンガーの安田南に捧げられた曲「プカプカ」発売。
1974年(昭和49年)に、あがた森魚、はちみつぱい、細野晴臣が参加したセカンドアルバム『街行き村行き』を発表。ここから細野との本格的交流が始まる。
また、同年にザ・ディランを再現しようとの試みに、佐藤博、長田タコヤキ和承、石田長生ら、ザ・ディランと関わりのあったメンバーと参加し、アルバム『悲しみの街』(ベルウッド)を発表。ただし、この試みはザ・ディランと言う流動的なグループの再現とはほど遠かったと、後に参加したメンバーは振り返っている。また、このアルバムに収録された曲の多くは、アルバムの収録時間に合わせた短縮版である(原曲は、未発表ライブを収録した、いくつかのライブ盤で確認できる)。
1975年(昭和50年)にサードアルバム『ろっか・ばい・まい・べいびい』を発表。鈴木茂とハックルバックが参加。細野のプロデュースだが、実質は共作(細野の「トロピカル三部作」と対をなす、あるいは補完する作品と考えられる)。
1976年(昭和51年)の『南米旅行』では、中川イサト作曲の「今日はまるで日曜日」を再びカバー(ソー・バッド・レビューが参加)。バンド、カリブの嵐を率いてのライブ盤『‘77.9.9.京都"磔磔"』を1977年に発表(1998年に、完全版発表)。ソロ作品としては、1979年(昭和54年)に『ヨー・ソロ』、1981年(昭和56年)に『NEW YORK TO JAMAICA』を発表。
1980年代に入ってからは、KYOZO&BUN(岡嶋善文とのグループ)名義で、『パラダイス・カフェ』(1983年(昭和58年))、『トラベリン・バンド』(1986年)の2作品を発表。
1993年(平成5年)、再びソロに戻って『START』を発表。
1997年(平成9年)4月4日、妻のKUROが乳癌により死去。同年12月、結果的には遺作となる『Farewell Song』を発表。
1999年(平成11年)4月3日、妻KUROの三回忌前日に自宅で縊死[1][2]。享年50。
2002年(平成14年)、彼が生前に選曲していたというベストアルバム『Glory Hallelujah』が発売。
※ ピアノ吉野金次 ベース角谷安彦 ドラム林敏明
Side:A
Side:B
※ 細野晴臣全面参加
※ 細野晴臣(B・G)、橿渕哲郎(Ds・Vo)、岡田 徹(P・Vo)、武川雅寛(Vn・G・Mnd・Vo)、鈴木 茂(G)、村岡 健(Sax)、松本 裕(Per)、松田幸一(Hca)
※ 細野晴臣との共同プロデュース
※ 作詞:KURO(特記以外)、作曲:西岡恭蔵、編曲:細野晴臣(特記以外)
※ 作詞:KURO、作曲:西岡恭蔵、編曲:鈴木茂(特記以外)
※ 生前最後に制作されたアルバム。
Disc:1
Disc:2
※ 「西岡恭蔵とハーフムーン」「大塚まさじとラブ・コラージュ」とのジョイントライブ。
※ 1983年12月1日に六本木ピットインで行われた。
※ 1997年12月の大阪バナナ・ホールでの模様を収録。
Disc1:ディランにて
Disc2:街行き村行き