荒木 忍国(あらき の おしくに、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。氏は荒城、名は押国とも記される。氏姓は荒木臣、のち大荒木臣。贈外従五位下・荒木道麻呂の子。官位は従五位下・遠江介。
出自
荒木氏(荒木臣)は、中臣氏と同祖とする天神系氏族[1]。大和国宇智郡の荒木神社の鎮座地(現在の奈良県五條市今井町)の地名に因むと想定される[2]。
経歴
左京の人。称徳朝の天平神護3年(767年)父の道麻呂とともに、墾田100町・稲12500束・荘(生産物を貯蔵する倉を中心として周辺に園地を配した一区画)3ヶ所を西大寺に献上する。道麻呂はまもなく没したため外従五位下を贈られ、忍国は无位から外従五位下に叙せられた。翌神護景雲2年(768年)左兵庫助に任ぜられる。
光仁朝の宝亀4年(773年)に養老5年(721年)以前の戸籍では大荒木臣となっていたところ、神亀4年(727年)以降の戸籍では「大」の字が付けられなかったとして、荒木臣から大荒木臣に改姓した。宝亀8年(777年)遠江介として地方官に遷る。
桓武朝初頭の天応2年(782年)氷上川継の乱が発生するとその対策のためか、主馬助に任ぜられ京官に復す。その後、内位の従五位下に叙せられ、桓武朝末の延暦23年(804年)20年以上振りに遠江介に再任されている。
官歴
『続日本紀』による。
脚注
参考文献