穂積 財麿(ほづみ の ざいまろ)は、平安時代前期の豪族・神職。穂積氏の一族で[1]、カバネは朝臣。熊野速玉大社物忌領・穂積息嗣の長男で、子に穂積永成[2]。官位は、正六位下、勲八等[2]。
熊野速玉大社の禰宜を務めた。また、古代氏族系譜集成の穂積氏系図には、弘仁3年(812年)に大鳥居側に手力雄神を鎮座し奉ったと記されている[2]。正六位下、勲八等に叙せられた[2]。
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