福田 関次郎(ふくだ せきじろう、1882年(明治15年)3月18日[1] - 1979年(昭和54年)7月14日[2])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(通算3期)。
経歴
山口県出身[1]。1904年、関西法律学校(現・関西大学)卒[1]。朝鮮で小学校校長をした後、京都製薬所長、七寿肥料(株)社長などを務め[1]、京都市議、京都府議を経て[1]、1932年の第18回衆議院議員総選挙において京都1区(当時)から中立(無所属)で立候補して初当選した[3]。以来3回連続当選。当選後の会派は第一控室を経て[4]、立憲民政党に入った[5]。民政党解党後は鳩山一郎率いる同交会に入り[6]、1942年の翼賛選挙では非推薦で立候補したが落選した[7]。
戦後の1946年の第22回衆議院議員総選挙[8]と翌1947年の第23回衆議院議員総選挙(京都1区)[9]に日本自由党公認で立候補したがいずれも落選し、政界から引退した。1979年死去。
脚注
- ^ a b c d e 衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、3頁。
- ^ 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』548頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』101頁。
- ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』372頁。
- ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』384頁。
- ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』455頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』129頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』150頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』170-171頁。
参考文献
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年11月。
- 楠精一郎著『大政翼賛会に抗した40人 自民党源流の代議士たち』朝日新聞社、2006年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。