| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "矢吹光頼" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年10月) |
矢吹 光頼(やぶき みつより)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。陸奥石川氏の家臣。
略歴
矢吹行重の子として誕生。矢吹氏は陸奥石川氏の一門で袖ヶ城を居城とした。
光頼は石川昭光の家老を務めたといわれる。天正5年(1577年)4月、石川氏の一族・浅川義純が佐竹氏に反逆するが失敗し、居城の浅川城を追われたため、浅川城は昭光に預けられ、城代として光頼が入った。天正10年(1582年)頃には浅川義純・豊純父子が浅川城に復帰している。
天正17年(1589年)10月の伊達政宗による二階堂氏攻略の際には、石川昭光と共に須賀川城攻めに協力し、落城後は昭光が須賀川城主となり、城代として光頼が須賀川城に入城した。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐が起こると、その後の奥州仕置により、主家の石川氏は改易とされ、矢吹氏は伊達氏に従って角田へ移ったという。