田中 美矩(たなか よしのり?)は江戸時代後期の佐渡奉行所地役人。佐渡田中家10代。
経歴
宝暦4年(1754年)生まれ。幼名は安五郎。阿川権之助に兵法・鎗術を学んだ。明和8年(1771年)部屋住みより御役所向見習となり、2人扶持を受けた。安永3年(1774年)御米蔵見習となり、安永4年(1775年)御役所向見習に戻った。
安永9年(1780年)御役所向見習、天明元年(1781年)再分所役並役、天明2年(1782年)銀山方定役頭取、天明4年(1784年)銀山方定役・鏈粉成所定役、天明5年(1785年)地方掛、天明7年(1787年)山方役。同年精錬に不手際があったとして押込30日を科された。
天明8年(1788年)6月前年分地方・銀山御勘定等御用のため江戸に赴任し、寛政元年(1789年)8月帰郷した。寛政2年(1790年)山方役、寛政5年(1793年)地方掛、寛政11年(1799年)地方掛頭取助。享和2年(1802年)子安五郎に元之進の名を譲り、五郎左衛門と改称した。文化元年(1804年)地方掛頭取。
文化6年(1809年)銀山方定役。文化9年(1812年)3月6日56歳で病没した。諡号は古道先生、法名は光徳院満誉定真惇斎居士。
遺稿
- 「賦山河連歌」(寛政4年(1792年))
- 「歌稿 祖母追禅」
- 「歌稿 秋」
- 「俳句」
- 「見くるしき事」
親族
- 父:田中美真(享保11年(1726年) - 天明4年(1784年)12月11日)
- 母:いち(石井英純娘、享保16年(1731年) - 寛政6年(1794年)11月3日)
- 妻(辻六兵衛重意娘、宝暦9年(1759年) - 天保8年(1837年)11月)
- 子:田中葵園(天明2年(1782年)6月8日 - 弘化2年(1845年)5月3日)
- 子:田中疇之助(天明6年(1786年) - 享和3年(1803年)6月22日)
脚注
参考文献
- 「葵園先生年譜」『葵園遺稿』田中完三、1931年9月。
- 佐藤利夫「佐渡田中家の系譜」『地役人の系譜 田中葵園資料寄贈記念展報告書』相川郷土博物館、2003年3月。
- 「資料目録」『地役人の系譜 田中葵園資料寄贈記念展報告書』相川郷土博物館、2003年3月。