『泉』(いずみ、フランス語: La Source)、あるいは、『泉のかたわらの裸婦』(いずみのかたわらのらふ、Baigneuse à la source)は、フランスの画家ギュスターヴ・クールベが描いた19世紀半ばの絵画[1]。キャンバスに油彩で描かれた本作は、岩に腰掛け、流れ落ちる水に手を伸ばすヌードの女性の姿を捉えている。本作は、オルセー美術館の所蔵となっている[2]。
この中型で縦長の油彩画は、クールベにとって本格的なヌード作品を制作した最後の時期の作品のひとつであり、本作の頃まで十年以上にわたって取り組み続けたこのジャンルの締めくくりとなったが、クールベのヌード作品は1853年の『浴女たち (Les Baigneuses)』以来ずっとサロンでスキャンダルを呼び続けたのであった。ただし、その後も1870年に『ミュンヘンの淑女 (La Dame de Munich)』(所在不明)が制作されている[3]。
もっともクールベは、1868年の時点では人々の目には既に古典的な画家と映っており、それを象徴するように、批評家のテオフィル・ゴーティエは、「写実主義の頭領、英雄は、今ではマネ氏である ( le chef, le héros du réalisme est maintenant M. Manet)」と述べた。この時点でマネとクールベは決裂し、マネは既にそれまで何年もクールベの女性像の丸みを帯びた形を批判していたが、それに応じてクールベはマネの『オランピア』の強ばった姿を批判したのであった。本作はパリのサロンには出品されず、クールベが1867年にアルマ広場(フランス語版)に設けた私設の空間に展示された。背景には、彼の作品『夢 (Le Rêve)』に対する検閲との厄介な消耗戦の経験があった。『ヴィーナスとプシュケー (Vénus et Psyché)』(1867年、所在不明)は、当初は皇帝ナポレオン3世の関心を引いたが、カトリック的美徳との関係から圧力を受け、前言は撤回された[4]。
« Le Nu, la tradition transgressée », in Laurence des Cars (conservateur au musée d'Orsay), Dominique de Font-Réauls (conservateur au musée d'Orsay), Gary Tinterow (directeur du département d'art moderne et contemporain du Metropolitan Museum of Art) et Michel Hilaire (directeur du musée Fabre), Gustave Courbet : Exposition Paris, New York, Montpellier 2007-2008, Réunion des musées nationaux, 2007 (ISBN 978-2-7118-5297-0).