柳谷 中(やなぎたに ただし、昭和13年(1938年)2月18日 - 平成12年(2000年)9月6日[1])は日本の実業家、政治家。鳥取県議会議員。
父は元鳥取県議会議員の柳谷保一。
経歴
鳥取県米子市出身[2]。
昭和33年(1958年)大阪商業大学中退[2]。昭和41年(1966年)米子自動車学校理事長に就任[2]。同年かいけ幼稚園理事[2]。
昭和55年(1980年)鳥取県指定自動車学校協会会長[2]。昭和58年(1983年)鳥取県議会議員に当選[2]。
2000年9月6日、呼吸不全のため死去[1]。
人物像
- 保一氏が私に向かって「先生も親に似ないで左側を歩いておられるが、うちのはもっと左で困っています。ひとつ説教して下さい」と、はまり役の説教係だといわんばかりに頼まれたことがあった[3]。
- 私は「若い時にヒューマニズム、社会正義の立場から革新に走るのは、美談でこそあれ説教すべきことではありません」と申し上げた[4]。「あれこれ言わなくても収まるところへしょせん収まるものですよ」と言ったそのとおりに、ご令息も今は国民政党所属の地方政治家として立派なもの[4]。たどるべき道をたどりながら、人間は成長していく[4]。今昔の感に耐えない[4]。」という。
家族・親族
柳谷家
- (鳥取県米子市角盤町・米子市錦町・米子市皆生)
- 明治31年(1898年)2月生[5]~没
- 明治34年(1901年)1月生[5]~没
略系図
参考文献
- 『鳥取県人名録』(企画・編集 鳥取県人名録刊行委員会 旬刊政経レポート、1987年 629頁)
脚注
- ^ a b 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.631
- ^ a b c d e f g h i j 『鳥取県人名録』 629頁
- ^ 安田貞栄 著『ひとすじに』59-60頁
- ^ a b c d 安田貞栄 著『ひとすじに』60頁
- ^ a b c d e f 『第廿一版 人事興信録 下』昭和36年(1961年)、や四五
外部リンク