松井 節(まつい せつ、1887年(明治20年)5月17日 - 1970年(昭和45年)5月17日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級。
経歴
1887年(明治20年)に島根県で生まれた。陸軍士官学校第21期卒業。1936年(昭和11年)12月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に歩兵第36連隊留守隊長に着任し、1937年(昭和12年)9月に歩兵第136連隊長(北支那方面軍・第109師団・歩兵第118旅団)に就任して日中戦争に出動。太原で治安維持に任じ、河北戡定作戦、晋南粛清戦、南部・北部の山西軍討伐、五台作戦、潞安での掃討戦など歴戦し、1939年(昭和14年)12月に留守第4師団司令部附となった。
1940年(昭和15年)3月に陸軍少将に進級し、1941年(昭和16年)3月に第24歩兵団長(第5軍・第24師団)に就任して、1942年(昭和17年)7月に留守第51師団兵務部長に転じた。1944年(昭和19年)3月1日に待命[5]、3月2日に予備役に編入された。同年4月22日に召集され第10野戦補充隊長に着任。1945年(昭和20年)2月1日に湖北省応城で編制された独立混成第85旅団(支那派遣軍・第6方面軍)の旅団長に2月20日に着任し、同地で終戦を迎えた。
脚注
参考文献