本名 文任(ほんな ふみのり、1891年(明治24年)8月29日[1] - 1968年(昭和43年)4月20日[2])は、日本の医学者、防衛官僚である。京城帝国大学教授、警察予備隊本部医務局長、防衛庁衛生監を歴任。「Ueber die Noma」[* 1]で東京帝大医学博士[3]、日本大腸肛門病学会会長[4]。日本の膿胸手術における先駆者である[5]。
経歴
福島県南会津郡大宮村(現・南会津町)出身[1]。会津中学[6]、一高[7]を経て、東京帝国大学を卒業。医学部首席の井深健次[* 2]は一高、大学とも同級生であった。東大第二外科局員、東京女子医専講師を経て台湾入りし、台湾総督府医院外科医長兼台北医学専門学校教授、日本大学専門部医学科教授を歴任。この間フランス留学を経験している。1939年(昭和14年)に京城帝国大学医学部教授となり、第二外科学教室を担当したほか、昭和16年度には整形外科学教室[8]も担当している。戦後国立相模原病院院長に就任し、身体障害者更生指導所長を兼任[9]。中央傷痍者保護対策委員会、身体障害者福祉法制定推進委員会の委員でもあった[9]。1950年(昭和25年)11月に警察予備隊(現・自衛隊)へ入隊し、総隊衛生監、本部医務局長、防衛庁衛生監を歴任し、76歳で没した。会津会会員[10]。
著書等
- 著作
- 『最近外科治療学』金原書店、1929年
- 『新外科学 上下』金原書店、1940年
- 『痔核』日本医書出版、1946年
- 『創傷伝染病』南江出版、1949年
- 『痔核の手術』日本医書出版、1951年
- 『病院設備』医学書院、1952年
- 『小手術のこつ』金原出版、1960年
- 『肛門外科の手術』金原出版、1968年
- 論文
脚注
- 注釈
- ^ 「Noma」はラテン語。論文の日本語テーマは「水癌について」。
- ^ 井深梶之助の長男で、のちの陸軍軍医中将。
- 出典
- ^ a b 『大衆人事録 第15版』帝国秘密探偵社、1952年、ほ16頁。
- ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』日外アソシエーツ、1983年、p.445。
- ^ “本名文任著「Ueber die Noma」”. 国立国会図書館. 2014年12月11日閲覧。
- ^ “総会・会長年次一覧” (PDF). 日本大腸肛門病学会. 2014年12月11日閲覧。
- ^ 『日本近代医学人名事典』「本名文任」
- ^ 『福島県立会津高等学校創立七十周年記念誌』71頁
- ^ 『第一高等学校一覧. 自大正5年至6年』157頁
- ^ 『京城帝国大学一覧. 昭和16年』266-267頁
- ^ a b “上田 早記子 国立身体障害者更生指導所の入所事情” (PDF). 四天王寺大学. 2014年12月20日閲覧。
- ^ 『会津会会員名簿』(大正八年六月発行)
参考文献
- 福島県友会『福島県誌上県人会』1923年(画像109枚目、「本多文任」とあるが、本書の索引は「本名文任」)
- 帝国秘密探偵社『大衆人事録 外地・満支・海外篇』(第14版)、1943年
- 泉孝英編『日本近現代医学人名事典』医学書院、2012年
外部リンク